2013年度特別コラム哲人の記

 

 

 目次

@ ソクラテス

A プラトン

B アリストテレス

C ゴータマ・シッダールタ

D 孔丘仲尼

E 荘周

F パウロ

G デカルト

H パスカル

I カント

J ヘーゲル

K ニーチェ

 

 

 

哲人の記@

ソクラテス

 

 ソクラテスと顔 : Digressions

 

「・・・を罰するのは正義だ」「・・・のあることは幸福だ」「・・・は美しい」と、有名な政治家や学者や芸術家がそう唱える。彼らの説には説得力がある。だが、彼らに「では、正義とは何か」「幸福とは何か」「美とは何か」と尋ねてみると、簡単には答えられない。「…は正義」と言っているのだから「正義」が何か分かっているはずなのに、答えに窮する。立派な説を唱えていても、当たり前に使っている言葉の意味を答えるのはとても難しい。実は、その言葉の意味を有名な知識人・賢人たちも知らなかったりする。

今から2400年ほど前の古代ギリシャで、当時の賢人たちにこのような質問をして回ったのが、西洋哲学の祖であるソクラテスだった。彼の目的は、世間でよく使われている道徳的な言葉「勇気」や「友情」や「愛」などの意味が、有名な賢人たちでさえも答えられないことを人々の前で論証し、人々に自分の無知を自覚させることにあった。この問答法と呼ばれる方法で、「知らないのに知っていると思っている人間より、知らないことを自覚して知ろうとする人間の方が賢い」と、ソクラテスは人々に伝えようとした。

しかし、そういう簡単には答えられないシンプルな質問をされると、人は腹を立てる。例えば、いたずらっ子に「どうして悪いことをするのは悪いことなの」などと言われたらとてもムカムカするだろう。腹を立てる度合いは、知識人・賢人と呼ばれている人ほど強くなる。プライドが高ければ高いほど怒りと恨みは強くなる。

賢者たちの無知を暴き、時の権威を批判したソクラテスは、一部に強い支持者を持った。が、多くの若者が彼の真似をして知識人を批判するようになったため、権威を穢された賢人たちにより「国家の信じる神とは異なる神々を信じ、若者を堕落させた」という罪状で公開裁判にかけられた。そして、共和制下の民主的な裁判で、賢人たちに扇動された多数の市民の票により、ソクラテスは死刑の判決を受け、法に従い自ら毒杯を飲んで死んだ。

古代ギリシャは現代と同じく、絶対的な価値などないという相対主義が優勢になっていた。絶対な価値が否定されがちな時代に絶対的な真理・本質を求めながらも、その上でそれは分からないと言い、しかしそれでも真理を探究するべきだと唱えるソクラテスの「無知の知」が、現代に至る哲学の道を切り開いていく。

 

 

 

哲人の記A

  プラトン

 

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 インド人の食べるカレーは日本人には辛すぎる。日本人の食べるカレーもインド人には淡白だ。おいしいものは人によって違う。だが、好みの味が異なる二人の人間がいて、互いにおいしいと感じるものが違っても、どちらも「おいしい」という言葉は使う。同様に、何が美しく、何が正しいかは、時により、人により異なることがあるが、「美しい」とか「正しい」とかいった概念は普遍的に変わらずある。感覚は相対的だが、概念は絶対的だ。

2400年前、ギリシャの都市国家アテネの哲学者ソクラテスは、普遍的・絶対的な「美」や「正義」そのものについて権威ある知識人たちが無知であることを指摘し、彼らの怒りと恨みを買って死刑となった。彼の弟子の一人プラトンは、雄弁な者の作る空気に扇動される民主共和制下の相対的価値観を憎んだ。そして、ソクラテスが無知を自覚しながら探求を続けた普遍的な「美」や「正義」そのものを、「イデア」と呼び、人間としての「コ」のイデアを求めることが哲学の目的だと考えた。

 例えば三角形を描くとする。人間の手やコンピュータの描く三角形は、どんなに精密に描こうとしても、ペンの太さやインクのにじみ、紙面の厚みの違いなどによって、厳密に完全な三角形にならない。でも、モデルとなる三角形の概念やプログラムは完全無欠。これが三角形のイデアだ。感覚でとらえることのできる物理的な現実世界は、全て相対的で不完全なものばかり。それに対して、三角形や「美」や「正義」のイデアは、絶対普遍に完全なものだ。

感覚的に知られる現実世界は、完全無欠のイデア界にある諸々のイデアを模倣して神が作った、不完全な影のようなもの。プラトンはそう説明した。そして、イデアは視覚や聴覚などの感覚では捉えられず、生前イデア界にいた不死なる魂が哲学によって想起することでしか認識できないと説いた。

イデア界のみを真の実在とする彼のイデア論は、普遍的な真理や法則を求める後世の哲学や科学、またキリスト教神学に大きな影響を与えた。だが、プラトンはやがて自らのイデア論に矛盾を感じる。「生物」のイデアは「生きている物」だと定義できるだろうが、生き物は皆死ぬものだ。とすると、生物のイデアは永遠に「生きている物」であると同時に、いつか「死ぬ物」でもあるという矛盾を露わにする。イデア論に対する解釈と批判がこの後、哲学の展開の歴史を作る。

 

 

 

哲人の記B

アリストテレス

 

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三平方の定理からフェルマーの最終定理まで、数学の世界にはたとえ地球が滅んでも変わることない絶対不変の定理がある。科学の世界でも、ニュートンの万有引力の法則やアインシュタインの相対性理論で示された数式は、絶対不変のものである。

だが、数式は不変でも、万有引力の法則と相対性理論では、世界観に大きな差がある。前者は万物が質量に応じて持っている「引きつける力」を重力と説明するが、後者は重力を「時空の歪み」と捉えている。進歩した実験装置を使った観測は、後者の理論の正しさを示した。科学的説明は、数学の定理と異なり、実験と観測次第で新しいモデルへと更新され続ける。

2400年前のギリシャ、アテネの哲学者プラトンは感覚で捉えられる世界を、人によって捉え方が異なる相対的で不完全なものと考えた。そして、ピタゴラスの定理などの数学上の定理や公式といった、法則や概念の世界こそが絶対的な実在であるとし、それをイデア界と呼んで、感覚で捉えられる世界を実在の影としてその実在を否定した。

しかしこのイデア論は、マケドニア王国出身の彼の弟子アリストテレスによって完全否定される。「感覚的現実世界を越えたイデア界など、存在しない」と考えた彼は、イデアの代わりに形相(エイドス)という概念を用い、形相は感覚的にとらえられる個物の質料(ヒュレー)に内在するものとし、知覚できる現実世界の実在を主張した。

イデアは完全不動のもの。だが、それでは、オタマジャクシからカエルに変化する生き物のイデアは説明できない。アリストテレスは師が批判していた感覚的経験と観察を逆に重視し、物理学・天文学・気象学・動物学・植物学と幅広い分野を研究して、近代科学のルーツになった。

師プラトンの著述がキリスト教世界の哲学と神学に影響を与えたのに対し、アリストテレスの研究はイスラム教世界の哲学・神学に影響し、イスラムは西洋に先立って科学を発展させることになる。やがて、彼の哲学は中世ヨーロッパに逆輸入され、ルネッサンスを引き起こし、ヨーロッパの科学を飛躍させた。

だが、偉大な彼の物理学や天文学上の説明は、天動説などその多くが現在では否定されている。また、科学の対象となる「感覚的現実世界が実在するのかしないのか」は、未だに解明することのできない問題として残されている。

 

 

 

哲人の記C

ゴータマ・シッダールタ

 

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花壇に花が咲いている。なぜか?誰かが種を植えたから。空から雨が降ってきた。なぜか?上昇気流で雨雲ができたから。あらゆる事物には、それを生み出す原因がある。原因がなければ、事物は生まれてこない。「此があれば彼があり、此がなければ彼がない」。全ては何らかの原因によって生じる。昨日は今日の、今日は明日の原因となる。何かの原因は他の何かを原因として生じた結果であり、その原因もまた何かの結果である。何ものも、自立して己だけで存在することはない。こうした因果関係に世界は貫かれ、森羅万象は生成流転をし続ける。一瞬でも、不変のものは何もない。物質も、植物も、動物も、神々も、私も、あなたも。

今から二千五百年ほど昔、ギリシャ哲学が生まれたのと同じ頃、古代インドでも哲学者たちが議論を戦わせていた。ネパールのシャカ族の王子として生まれたゴータマ・シッダールタもまた、それら哲学者たちの一人だった。彼は、「縁起」という世界を貫く因果関係を根本原理とし、現実存在は全て生成流転して普遍性を保たないという「諸行無常」、そのため事物は何一つ本質である「我」を持たないという「諸法無我」、それゆえ物質的存在は「空」であり、「空」こそが物質的存在だという「色即是空、空即是色」など、世界を支配する諸法則を「ダルマ」と呼んだ。

現代量子物理学との共通性を取り上げられることもある彼の世界観は、徹底して論理的で、無神論的で、唯物論的だ。だが、それは単に世界の有り様を探求したくて発見したものではない。「ダルマ」とは、ただ一つの目的を実現するために、地位を捨て、妻子を捨て、国を捨てて探求され獲得された真理だった。

世界は「苦」に満ちている。「老」「病」「死」があるために人間は苦しむが、それらは「生」を原因として引き起こされる。だから人生は「苦」だ。世界には喜びや楽しさもあるが、「喜」や「楽」を得ようとして得られないからこそ「苦」も生まれる。縁起の法則は、苦の原因を示す。苦の原因を消せば、苦も消せる。ただ一つの彼の目的、それは「苦」の消滅としての「悟り」の境地だった。

世界の「空」性を示す「縁起」というダルマに則して「苦」の原因を見つけ、それを取り除くための「道」を実践するよう人々に説いて聞かせたシッダールタの哲学は極めて合理的だった。しかし、数百数千年の時の中で、膨大な数の解釈と宗派も生んだ。「苦」からの解脱を目指すその全てが、仏教である。

 

 

 

哲人の記D

孔丘仲尼

 

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人間は社会的動物である。互いに関係を持ち、共存していくために、秩序のネットワークを集団的に構築する。子供は、所属する人間集団のルールに取り込まれ、ネットワークを構成する端末の一つとなることで、初めて、ただの生物でない人間となる。人間社会は二つの大きなルールによってネットワークが構築されている。一つは言語であり、もう一つは礼儀だ。外国人が、居住する異国の地で最も困り、最も気にするのもこの二つだろう。だが、勝ち組になること、負け組にならないことが目指される実力主義の時代には、古い礼儀はとかく疎んじられるものだ。

今から2千5百年前の中国は、周王朝の権威が落ち、諸侯が覇を競い合う戦乱の中で、その諸侯もまた、配下の貴族や更に下の者たちに地位を奪われるという下剋上の世界だった。そんな実力主義の時代に、諸子百家と呼ばれる哲学者・思想家たちが現れ、ルールの再編を目指した。孔子こと孔丘仲尼は、その先駆け的存在だった。しかし、彼が重視したルールはあくまでも、祖霊祭祀などの周王朝の伝統である古き礼法だった。

彼は、ルールである「礼」の前提として、他者を思いやる心としての「仁」を不可欠なものとし、「仁」と「礼」を合わせた「コ」を学問と実践によって身に着けた「君子」が理想の人間であると説いて、君子を指導者とした「仁」と「礼」による秩序回復を目指した。また、合理主義に徹し、神や霊など理性的に認識できないものについて語ることを戒めた。神霊は、世界を認識の対象する精神態度の前には表れず、科学的には実在しない。だが、森羅万象を、関係を持つ他者とする精神態度の前には、自然と実在者として立ち現れる。そこで神霊は、学問的には語りえぬ、ただ敬うのみの存在と考えた。

孔丘の、古き良き礼法への回帰や他者を思いやる心の教えは、既成の秩序を打ち破る下剋上と、敵を出し抜く権謀術数が求められる時代の実力主義者たちには受け入れられず、彼の説く、孝・義・信・忠のいずれもが覆された。また、論理的な独断を避け、学習と実践経験によって偏りを退けようとする中庸の態度は、難解過ぎた。孔丘は弟子たちとともに長い流浪の旅に出、自分たちを採用する王侯の現れを待つが、ついにその機会には恵まれなかった。

だが、深い仁徳を身につけた彼は、生前から聖人と敬われ、死んで数百年後には神として祭られていた。やがて、彼の言行録である「論語」と、彼を祖とする儒教は、東アジア文明の礎となる。

 

 

 

哲人の記E

荘周

 

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音が聞こえる。でも、あなたがいなければ、そこにあるのは空気の振動だけだ。空気振動を音に変換する聴覚を持つ生き物がいなければ、音は宇宙空間に存在しない。物が見える。でも、あなたがいなければ、そこにあるのは光の波動だけだ。光を色・映像に変換する視覚を持つ生き物がいなければ、映像は宇宙空間に存在しない。音や色に限らず、匂いも味も質感も、生き物の五感がなければ世界に存在できない。

あなたの前に机と椅子がある。でも、そこに机と椅子を発見できるのは、その概念を持った人間だけだ。言葉が机と椅子を他のものから切り分けなければ、どちらも独立した物体として存在できない。

人間の知っている現実世界は、五感や言語の作り出す現象界だ。だが、五感や言語を越えた真の実在がそれ以前になければ、現象界は生まれない。

2千5百年前、乱世の中国で、孔子が礼と仁を貴ぶ思想を軸に弟子たちに学問を教える学団を作った後、中国各地には様々な学団が起こり、様々な思想・哲学が生まれる。礼と仁の孔子の教えを継ぐ儒家、法治主義を説いた法家、無差別の愛と非戦非攻を説いた墨家、論理学による思想の整理に努めた名家など、互いに批判対立しあいながら、活発な活動を見せた。それぞれの思想家たちが学団を形成したり、政治家として活躍したりした中、貧窮の生涯を送り、人為的に構築された世界観を脱けて、世界を成立させる真の実在「道(タオ)」との一体化を理想とした思想家が、荘子こと荘周である。

荘周は神話的思想家である老子とともに道家と呼ばれる。その著作は、何千里もの体長を持つ魚や鳥を登場させるなど大げさな寓話を用いて、読者に人間社会の卑小さを感じさせる。それは、地球や宇宙の歴史を学んで、人類社会の歴史の短さを感じるのと同じ効果を持つ。それにより、貧富の差や身分の差、美醜の差など我々の社会にある価値や規範は相対化され、解体されてしまうのだ。そして、富と貧、正と邪、美と醜、善と悪、真と偽などの二項対立は、一方があることで他方も存在するものであり、世界を有らしめる「道」においては万物の価値は均等にして斉同であると荘周は説いた。

知覚や理性の作り出す現象界の虚構を指摘し、そこからの解脱、「道」との一体化、無為自然を説く思想は、後に道教へと吸収され、孔子を祖とする儒教とともに、中国文化の基盤となる。

 

 

 

哲人の記F

パウロ

 

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先哲の深遠な思想や哲学を学び、定められた戒律や法に従って日々精進すれば、シャカの説く仏陀や、孔子の説く君子や、荘子の説く真人など、理想的な精神状態を獲得できるのかもしれない。だが、それは誰にでも到達できる境地ではない。もし、知識・教養・哲学に縁の無い一般民衆など、万人に開かれた精神の幸福な境地があるとしたら、それを手にするか否かは個々人のお気に召すままだ。

古代ユダヤ人は、エジプト王朝の王族だった伝説的預言者モーセの導きで、世界を存在させる存在を神として祭り、殺人の禁止から食事の仕方まで生活の細部にわたる厳格な律法を奉じる宗教を獲得した。大国の侵略や強制移住という過酷な経験を乗り越えることで、その信仰は更に強化され発展した。そして紀元1世紀、ユダヤがローマ帝国の支配下に置かれていた時代、その宗教は、神の祭祀を司る保守的なサドカイ派と、神の律法を重んじる革新的なパリサイ派が対立し、民族の主導権を競っていた。

そんなユダヤ社会で、パウロは生まれた。彼はパリサイ派に属し、律法の知識に長けていた上に、母語であるヘブライ語の他に当時の国際言語であったギリシャ語も話すバイリンガルであり、ローマ市民権も持っていたエリートだった。彼は、ギリシャ的教養と知性にも恵まれていたが、何よりもユダヤの律法を厳格に守ることこそ唯一神の創造した世界で幸福に生きるための、人間が励むべき理想の生き方であると信じていた。

同じ時期、大工を家業とする一人の男が、一団の人々を伴ってユダヤの地を巡り歩き、ユダヤ社会の耳目を引いていた。彼には祭司の資格などなかった。膨大な律法知識がある訳でもなかった。彼にできることと言えば、病人・貧者・障害者・罪人など、社会に捨てられた底辺の人々と交わり、彼らを癒すことだけだった。しかも、「心から癒しを求めている人」しか彼は癒せなかった。強い者、富める者、正しき者は癒せなかった。そして、律法に関する専門的な解説ではなく、譬え話によって神とその愛を信じるように勧めるだけだった。その男イエスが人々に称えられるようになると、祭司や律法学者たちは権威と誇りを傷つけられた。そのため彼は囚われ、神殿と律法を穢した罪で十字架にかけられて死んだ。

イエスの死後、一度はバラバラになった弟子たちが、彼の癒しの業と、神の愛についての説法を継承し、イエスの教団は「復活」した。パウロは、パリサイ派としてその教団を迫害する側にいたが、いかなる迫害を受けても癒しを求める者を癒し、心の救いを求める者を救うことのできるイエスという存在に傾倒し、逆に律法に生きる難しさに疑問を感じて、回心した。そして、イエスこそが神に自分たちを取り次ぎ、その愛に導いてくれるキリスト(救い主)であるというキリスト教の原理を明確にし、その神学の土台を築く。 

ここに、キリスト教が誕生した。

 

 

 

哲人の記G

デカルト

 

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様々な事象についてなされている一般的な説明は、本当に正しいのか。世間的通説は往々にして覆されるし、歴史上の事件から健康科学まで、学説・定説とされていたものが覆されることも少なくない。何が真実、何が真理か分からない時、疑えそうなことは全て疑ってみるという方法がある。方法的懐疑。

「我思う、故に我あり」とは、全ての知識や感覚、世界と自己の存在、そして神まで、疑いえる全ての事物を疑った16世紀の哲学者デカルトの言葉だ。全てを疑ってみた彼は、最後に、疑っていること自体は疑いえない事実であると気づく。疑うことがなければ、逆に全ては疑いえない事実ということになってしまう。疑う、即ち考えるという精神活動自体は疑いえない以上、それを行っている「私」は間違いなく存在する。この明晰判明な事実が、彼の哲学の第一原理となった。

ヨーロッパ世界は、ギリシャ哲学とキリスト教を軸にして生まれた。ギリシャ哲学の代表プラトンの思想は、4世紀のキリスト教思想家アウグスティヌスを介して、既にローマ帝国内に広がっていたキリスト教信仰に取り入れられ、その神学の土台となった。イデアという設計図を基に世界を創造した造物主の摂理には、イデアを見て真理の判断が下せる理性だけがこれに合致する。こうしたプラトンのイデア論は、唯一神信仰であるキリスト教の神学によく適しており、この世界観が教会の巨大な権威と権力の下にあった中世ヨーッロッパ上流社会の文化的骨格になっていた。

ヨーロッパにはやがて、ギリシャ・ローマの文明を直接継承・発展させたイスラム世界の諸学問がもたらされ、カトリック教会の秩序の下で、スコラ学という体系的学問が形成された。このスコラ学には、プラトンを批判した彼の弟子にして万学の祖アリストテレスの現実的な諸学も取り入れられ、学問の世界で合理化が進んだものの、聖書の記述に反する説は認められなかった。そのため、デカルトと同時代にスコラ学の説く天動説を批判し、コペルニクスの地動説を支持したガリレイは、宗教裁判で無期刑となった。

ガリレイ同様、数学によって記述される事象のみが明晰判明な事実、科学的事実だと考えたデカルトは、聖書に矛盾しない体系に固執するスコラ学と決別し、新たな哲学体系の構築を目指した。そして、方法的懐疑に続けて彼が行ったのは神の存在証明だった。明晰判明な「考える私」の存在を見出した理性がある以上、それを成り立たせ、それと合致する摂理の源たる神も存在すると彼は主張し、己の哲学の根本にも神を置くことで、スコラ学を支持するカトリック教会に対抗した。

数学による全自然界の記述を夢見て彼が構築した機械論的世界観。この新たな世界観よる近代科学革命は、彼の死後、ニュートン力学の登場によって実現する。

 

 

 

哲人の記H

パスカル

 

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何かを認識することと何かを信頼することは、別のことだ。神についても、その存在を認めることとその存在を信頼することは、別のことである。

神は、科学的には観測できない。その点では、物理的には実在しない正義や愛、あるいは基本的人権や民主主義や平和などと等しく、実在についての科学的根拠はない。人間の人格も、その人の友人や恋人、家族、あるいは敵によって認識のされ方が異なり、科学的には特定できない。だが、科学的に認識できなくても、その人格を信頼することはできる。逆に、認識があっても、信頼がなければ、協力し合う関係は築けない。

17世紀のヨーロッパ。キリスト教によって秩序と文化を育んできたこの地は、コペルニクスやガリレイの登場により近代合理主義が開花し始めていた。その時代に、数学や物理の研究において早熟の天才と言われた哲学者がいた。名前はブレーズ・パスカル。10代で機械式計算器を開発し、幾何学においてはパスカルの定理発見、力学においてもパスカルの原理を発見するなど、30歳までに数学と科学の歴史に名を残す偉業をなした。

その一方で、彼は理性によって神を認識、または否認しようとする当時の合理主義を批判し、敬虔なキリスト教徒として、「キリストの愛」、「神の律法と恩寵」、そしてそれを伝える「聖書」の物語への信頼を表明し、世界で唯一の正しき宗教としてキリスト教を擁護した。

キリスト教の神は、人間に愛の癒しを存在させる存在であり、社会に倫理と法を存在させる存在である。もし、聖書の物語を偽とし、この宗教を偽とするなら、それはヨーロッパの秩序を作った愛の倫理をも偽とすることになる。愛がイエス=キリストを起源とする以上、その物語の権威を信じなければ、愛の倫理と行動が否定される。理性は、世界の中の様々な科学的実在から、世界を存在させる神の実在を推定することはできるが、神の正義や愛が信頼できるものかは示せない。そこに科学的根拠はない。

パスカルは、神の正義と愛を信頼することは、喩えるならギャンブルの「賭け」であると言う。もし正義と愛の神が存在しないのなら、信頼してもしなくても世界と自分には何の危害もない。だが、その神が存在すれば、信頼する者には神の愛と天国が与えられ、信頼しない者には罰と地獄が与えられる。だから、信頼することは、信頼しないことより確率的に優越し、ギャンブルとしても損はない。そう言って彼は、キリスト教信仰を、合理主義者たちの無神論から、擁護しようとした。

人も神も、信頼するとは賭けること。

 

 

 

哲人の記I

カント

 

 カント

カント

理性とは、どこまで正しいものだろう。理屈は通っていても、おかしな論理はある。白を黒にひっくり返す弁護士の詭弁は、大変頼もしいものだが、理に適ってはいても正しいとは感じられない。でも、間違いも指摘できない。

18世紀のヨーロッパ、ドイツ人のイマヌエル・カントは、理性について考えた。理性はどこまで正しく、何のためにあるのか。

彼はまず、正しい認識とは何かを考えた。そして、事物が人間に認識されるのではなく、人間の認識の形式が、事物の有り方を決定していると考えた。知る対象となる事物は、まず視覚や聴覚や臭覚などの感覚としてとらえられるが、私達の裡に生じたものは動物の感性が作り出す映像や音や匂いであって、「物自体」ではない。動物の感性が、事物の有り方=現象を決めているのだ。更に、動物の感性は、空間と時間という形式を持ち、その形式に基づいて事物は感じ取られると言う。空間や時間は動物が事物を感じる形式であり、事物を感じることで、初めて対象と共に我々の前に発生するのである。

しかし、感じるだけでは認識にはならない。感性で受け取られた対象は悟性によって仕分けられ、統合され、「犬」や「犬が走る」といった、物や事として認識される。この仕分けと統合は、「分量」「性質」「様態」「関係」といったカテゴリーに従って行われる。これらのカテゴリーは生まれた時から人間悟性に備わっている先天的な形式で、カントは、感性と悟性の形式に沿って認識される現象だけを、客観的(科学的)実在とした。

だが、人間は、認識した現象を基に、更に悟性カテゴリーの組み合わせを変えて推論する力、理性も持っている。理性の展開する推論は、数学的に確実なものもあるが、感性によっては感知できないものを実在するように見せる詭弁や、パラドックスへ陥る性質もある。推論によって捉えられたものの中には、魂、世界、造物主といった概念もある。これらは感性で感知できない点で、実在とは言えない。だが、カテゴリーに沿ってより根源的なものを求めていけば、必然的に導き出される哲学的理念でもある。実在するとは言えないが、実在しないと決定することもできない。なぜこんな理念が生まれるのか。ここにカントは、理性と哲学の真の目的を見る。

理性と哲学が実証不能な根源的概念を求めてしまう理由。それは、人間が、いかに行動するべきか、いかに生きるべきかを絶えず模索しているからである。理性は、進むべき理想を作って人間の前に示すためにあるのだ。

それに従うか否かは、実践的な意志の問題。

 

 

 

哲人の記J

ヘーゲル

 

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一人の人間が生まれ出る。彼の意識には無数の色や音や臭い触感が現れる。そこに「物」が確かにある、と意識は思う。しかし、目の前の「物」は、私が後ろを向けば姿を消してしまう。でも、意識は継続してある。確かにあるのは私(意識)の方、と意識は思う。この「物」と意識の対立は、目の前の「物」が、継続する意識の中に継続して現れることで「それがある」という確かな「事」となって統一される。これが知覚だ。

やがて彼は言葉と概念を身につける。そして、目の前にある「物」が、例えば「机」であることを知る。その「机」は、「固く」「重く」「茶色い」という様に、概念的に意識へ認識される。それは、この「机」がそれらの性質を本質として持つことを意味する。更にその「机」は、ただ知覚する個人の意識にのみあるのではなく、彼が言葉と概念を通してつながっている人類の精神ネットワークに認識され、現れ出たものでもある。こうしてこの「机」は、人類の精神世界で客観的普遍的に存在することになる。この意識の働きを悟性という。

彼の意識は様々なものの認識の後に自分自身を対象として意識するようになる。この自己意識(自我)は、自己内部の欲望を実現しようとするが、自然はそれを簡単には許してくれないため対立する。また、彼と同じ他の人間たちも、彼と同様に欲望を持ち、双方の自己意識は互いの欲望実現のために対立する。だが、欲望の勝利には限界がある。自己意識は自然や社会の壁に突き当たることで、その法則や制度を内部に受け入れ、これに従う理性となる。

こうして理性は、人間精神のネットワーク上にある制度や道徳に従うことにしたわけだが、これは一方にある自己意識の欲望としばしば対立する。つまり、道徳と幸福が矛盾する。また、ある社会の制度や道徳は別の制度や道徳と対立することもある。ここに理性は絶対命令としての道徳を越え、理想を行動によって現実化し、同時に他者の承認も得ようとする「良心」へと発展する。

18世紀末、西洋で発展した合理主義はフランス革命へ結実しながら、恐怖政治やナポレオンの独裁へと挫折した。そんな激動の時代に登場したヘーゲルは、「正」と「反」の対立が「合」として発展を生むという弁証法的な精神発展の歴史と、個人の意識が、人類の精神ネットワークであると共に世界が実在する場である「絶対精神」と一体化することを目指す哲学を説いた。

彼をもって古代ギリシャ以来の西洋哲学は体系的な完成を迎えることになる。

 

 

 

哲人の記K

ニーチェ

 

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ニーチェ

もしも、今生きているこの人生が、来世でも全く同じように繰り返されるとしたら。苦しみ多きこの人生が、何度も何度も永遠に繰り返されるとしたら・・・。

19世紀後半のヨーロッパ、技術革新と産業革命によって近代合理主義は大衆化し、キリスト教の世界観は科学的な常識に圧倒される。かつて科学者ガリレイの地動説を否定したローマ教会の説く宇宙観にもう権威はなく、人格を持った神は、妖精や魔女などと同様、非科学的な存在と見なされるようになった。

「神は死んだ。」ドイツ人の哲学者ニーチェは、この言葉によって時代状況を端的に指摘した。しかしこの言葉は、単に宗教と教会の権威が落ち、人々が迷信に囚われずに理性によって合理的に生きる時代が到来したことを告げるものではなかった。「神の死」とは、普遍的・絶対的な真理や理想が消え失せ、今後数世紀に亘って根源的に無秩序な価値相対主義の時代が来ることを予言する言葉だった。

ニヒリズム。普遍的・絶対的な価値基準の存在を一切認められない精神的態度を指してニーチェはそう呼んだ。神の死は、キリスト教の教えてきた愛や道徳の根拠が消えたことを意味する。そして、何も確実なものがなく、何も信じられない状況で、理想も目標も持てぬまま、ただ惰性的にその日その日を安楽に生きようとするだけの人間が、ゆっくりと確実にヨーロッパの地に増殖していく。近代ヨーロッパが陥りつつあるそうした世相に、ニーチェは警鐘を鳴らしたのだった。

彼は、その状況を生み出した元凶を、ソクラテス以来の真理を求める哲学と、絶対的真理を大衆化したキリスト教だと考えた。そもそも真理というものは存在せず、それまで信じられていたものはヨーロッパという地球上の一地域の文化が形成した、世界についての視点の一つに過ぎないのに、絶対不変のものだと哲学やキリスト教が信じさせてきたため、それが覆された途端、虚無感に襲われる人々が現れるようになった。そう考えたニーチェは、反哲学・反キリスト教を自己の思想的態度とし、ニヒリズムを克服する方法を人々に伝えようとした。

ニヒリズムの徹底、それがニーチェのニヒリズム克服の方法だった。つまり、一般の道徳的善悪などは文化や状況によってすり替えられるものだと断じて顧みず、ただ自己にとって悪いものは捨て、ただ自己にとって良い道を選んで進むこと。これを徹底することで、再び生まれて来ても全く同じ人生を送りたいと望めるようになった人間を、彼は「超人」と呼んだ。

世界が永遠に回帰し、今の人生が永遠に繰り返されるとしたら、あなたは今をどう生きますか。