2014年度特別コラム「賢者の巻物」

 

 

 目次

@ 「善の研究」西田幾多郎

A 「論理哲学論考」ヴィットゲンシュタイン

B 「経済学・哲学草稿」マルクス

C 「プロテスタンティズムの倫理と、資本主義の精神」マックス・ウェーバー

D 「妖怪学」井上円了

E 「一般言語学講義」ソシュール

F 「存在と時間‐上」ハイデガー

G 「存在と時間‐下」ハイデガー

H 「遠野物語」柳田國男

I 「相対性理論」アインシュタイン

J 「悲しき熱帯」レヴィ=ストロース

K 「知の考古学」ミッシェル・フーコー

 

 

 

賢者の巻物@

「善の研究」西田幾多郎

 

 Front Cover

 

欲望のままに生きる者が、道徳的な理想に向かう者へ、「お前のしていることも自分の願望をかなえるための行動だ。つまり俺と同じく欲望で動いているわけさ。行動ってのは、みんな欲から生まれてるんだ」と言う。人間と動物の行動の動機を、「欲望」の結果として認識し説明しようとする欲望一元論。

これは確かに分かりやすい。だが、行動についての認識と説明の怠慢でもある。人間も動物も、残念ながらそれほど単純にはできていない。現実には、快楽への欲望は、行為の起因の一つでしかない。動物は、個体としての身体的欲求や危機回避よりも、種の存続のために自らの命を落とそうとする衝動に突き動かされることが、少なからずある。社会的動物たる人間は、身体的欲求と、社会的存在としての自己を実現するための道徳的意志の間で、しばしば葛藤する。葛藤、そこに意識が生まれる。身体的欲求が何の障害もなくまかり通っている間、私達は無意識だ。世界と衝突する時、種々の衝動が矛盾し合う時、それを克服・統一しようとする意志により、「純粋経験」という意識が生まれる。

近代日本の哲学者、西田幾多郎は、その著書「善の研究」において、「純粋経験」をこの世界の唯一の実在とし、科学も芸術も、道徳も宗教も、人間活動の全ては精神の矛盾・葛藤状態を克服するための意識の統一運動なのだと説明する。

この書では、感覚も思惟も、意識の働きは全て純粋経験と呼ばれる。これは、意識することであると同時に意識されることである。意識する主体と、意識される客体は、一つの純粋経験を別の面から示した抽象的概念にすぎず、自己は世界であり、世界は自己である。そして、純粋経験は矛盾・葛藤を克服し統一する作用である。だから、社会的動物として存在し、言語と文化を持つ人間の精神において、純粋経験は他者を愛し尊重する衝動、理想社会の実現を目指す衝動に則る統一作用としても現れる。西田は、純粋経験のこの倫理的作用・運動が「善」であると言う。そして、個人の意識は、言語・文化の体系である人類精神の一細胞であるとし、更に、その人類精神を突き動かす宇宙の根源的意志としての神でもあるとした。神は意識する主体であり、世界は意識される客体であり、両者は一つの純粋経験であると言う。

ソクラテスからヘーゲルに至る古今の西洋哲学、キリスト教神学、儒教思想、そして仏教哲学の研究に加え、参禅修行の実践に基づいて構築された西田哲学。その哲学体系に個人名を冠せられた者は、日本では西田一人である。

 

 

 

賢者の巻物A

「論理哲学論考」ルートヴィヒ・ヴィットゲンシュタイン

 

 

 

哲学には、一つの最終解答が示されている。「語り得ぬことについては、沈黙しなければならない」という解答が。

様々な事実が言語に写し取られているから、人間は言葉を使って語ったり(他人に説明したり)、考えたり(自分に説明したり)することができる。そして、説明が成立するには、言語が論理規則という条件を持っていることが不可欠である。例えば、事物をXとYの座標に写し取れば、その場所や形を座標の規則に従って説明できる。同様に、「AはBだ」とか「AはBではない」とか「AならBになる」などの論理規則があることで、複雑な説明が可能になる。言語が論理規則を持っている以上、言語に写し取られた事実も論理規則を持っているはずだ。事実の集合である世界は、言語化した事実である命題の集合であるため、言語と同様に論理形式・因果関係が観察できるのだ。そして、論理の空間が言語でできている以上、「論理的に正しい言語の限界」は「実在可能な世界の限界」と言える。

オーストリアの青年ヴィットゲンシュタインは、第一次世界大戦のさなか、志願兵として赴いた戦場の死線上で、論理について考えた。当時、ドイツの数学者フレーゲの考案した形式論理学は、イギリスの数学者ラッセルよる修正を経て、論理学に革命を引き起こしていた。二人に影響を受けたヴィットゲンシュタインが、論理についての考察に没頭して完成させたのが、20世紀を代表する哲学書「論理哲学論考」である。

論理空間内の事実は、真偽の判定が可能な命題に限られ、真偽判定不能な命題は存在が無意味とされる。よって、真偽判定の可能な科学的命題以外の、善や美や神や魂など、実証不可能な命題は全て論理的には無意味、沈黙すべき対象となる。哲学とは、語り得るものと語り得ぬものを仕分ける活動であるべきで、真理を語ることではないとこの書は主張し、後の英米系の分析哲学に大きな影響を残す。

「論理哲学論考」は、論理とは何かを論じてその発展に寄与した、難解な論理学の書である。だが、その独特な構成には、どんでん返しがある。論理についての記述だったはずの文章は、語り進むうちに、論理の外側に秘められた語り得ぬ神と倫理と生の意味を読者に示そうとする、神秘の思想書にもなっているのだ。ヴィットゲンシュタインは、この書をもって哲学の終了を宣言した。

だが、もう一つのどんでん返しがある。彼は15年後に哲学に復帰し、「言語ゲーム」など、論理中心主義を批判する概念を立て、英米系分析哲学のライバルと言われる大陸現代思想にも影響を残すのだった。

 

 

 

賢者の巻物B

「経済学・哲学草稿」カール・マルクス

 

 Front Cover

 

我々は、グローバル化した資本主義社会を生きている。それは、自らの意志と努力によって夢を実現できる社会、ということになっている。様々な事業、最近ではIT関連で億万長者になった企業家や投資家たちの存在が、それを実証してはいる。だが、その一方には、就職難・リストラ・非正規採用などの理由で、安定した所得を得られない層もいる。また、モノカルチャー経済の下、先進国市民の贅沢心を満たすために、低賃金で長時間働いている途上国の労働者たちもいる。彼らは、自分の働く農場のカカオで作られたチョコレートケーキを口にすることもできない。

産業発展の著しい19世紀のドイツ。それは、自由を実現する精神の運動として世界史を説くヘーゲルの観念論哲学が、近代哲学の完成として勢威を奮っていた地域でもあった。ユダヤ系ドイツ人のマルクスも、そのヘーゲル哲学を学んでいた一人の哲学青年だった。自由主義者で多少浪費癖のあったこの青年は、大学教授職を目指していたがそれに失敗し、やむなくジャーナリストになることでその運命を大きく変えることになった。

彼は、自由主義者の立場から封建的保守体制を批判していく過程で、資本主義社会における労働者の悲惨な窮状を見た。そして、資本主義がその正当性の根拠としているアダム・スミス等の国民経済学を研究し、その欠陥を発見することで、社会主義者、共産主義者となるのだった。「経済学・哲学草稿」は、26歳のマルクスが資本主義の生み出す社会矛盾を指摘しつつ、自らの思想基盤であったヘーゲルの観念論と西洋哲学を批判的に克服する論文であり、後の大著「資本論」のルーツとなる草稿である。

資本主義下の労働者は、資本家の富が増せば増すほど窮乏し、自分が生産した製品を自分の物とすることのできぬ労働に、疎外感を抱かざるを得ない存在となる。格差は広がり、対立は深まり、人間性は失われていく。経済学は、公平な競争が国家の富を増やすとして資本家の活動を擁護する。哲学は、観念の整合的な体系化を目指し、ヘーゲルはそれに成功したともいえるが、現前するリアルな社会問題に対しては力を持たない。マルクスは、ヘーゲルの観念論を批判したフォイエルバッハの唯物論を更に押し進め、類的存在としての人間、生の社会的存在としての人間をあらゆる価値の根拠とした。そして、人間が社会的存在としての自己を取り戻すため、科学的に社会と経済を分析し、資本主義を打倒する革命の意義を説いたのである。

歴史上、マルクスの思想に基づく社会主義・共産主義革命は生産体制と国家の維持に挫折した。だが、資本主義の矛盾は消えず、市場原理に対して社会的存在であろうとする社会主義の実践的活動は、今なお続いている。

 

 

 

賢者の巻物C

「プロテスタンティズムの倫理と、資本主義の精神」

マックス・ウェーバー

 

 

 

欲望が景気を活性化する。資本主義経済は、労働者を搾取する資本家の貪欲な利潤追求と、消費者のこれまた貪欲な消費欲を、システムとして不可欠とする。だから、積極的に欲望が鼓舞される。欲望こそが、資本主義の精神的原動力だ、と普通は思われている。

だが、グローバル化した現代の国際経済を形成した近代資本主義は、営利追求を徹底的に敵視する、キリスト教プロテスタントの原理主義的な禁欲倫理がなければ、生まれてこないものだった。

20世紀初頭、ドイツの社会学者マックス・ウェーバーは、彼と同じく社会学黎明期にあってこの学問の発展に寄与した先哲マルクスが、その著「資本論」で示した史的唯物論の反証とも言える理論を発表した。

ヨーロッパでは16世紀に、長く人々の精神世界を支配してきたカトリック教会の腐敗を、ルターが敢然と糾弾しことで、宗教改革が始まる。新教プロテスタントの誕生である。だがそれは、カトリック教会の支配下では詳しいキリスト教の教義も知らず、形式的な信仰しか持たなかった一般信徒にも、修道僧のような厳格な信仰生活を求める、より原理主義的な運動だった。信徒に求められたのは「祈り、働け」、そして「営利を求めるな」という生活だった。この生活態度がより厳格に求められたのは、スイスのプロテスタント指導者カルヴァンに教化されたカルヴァン派においてである。誰が神に救済されるかは既に決定しているという「予定説」を採ったカルヴァン派は、自分が救済される存在であることを、神の意に沿う生活をしているか否かで確信しようとする。救済されることを神に定められた者は、己の天職に没頭しているはず。ここに、労働を宗教的行為とする文化が形成される。しかも、営利追求は禁じられていたため、利益はひたすら蓄積された。

産業革命は蒸気機関などの技術革新が発生条件として不可欠だったが、その技術を使用するには蓄積された多額の資本と、自己犠牲的ともいえる職業倫理を持った労働者が不可欠だった。こうして、プロテスタントの職業倫理から、資本の拡大を義務と考える資本主義の精神が生まれた。だが、その精神が外部的社会機構として定着すると、内面的な宗教倫理とは無縁の、商業主義・拝金主義がシステム化された近代資本主義に転換していく。

唯物論者のマルクスは、人間社会では、物質的・経済的条件である下部構造が、政治・宗教・文化といった精神的条件である上部構造を形成すると主張した。だが、ウェーバーはそれとは全く逆に、宗教や文化が物質的・経済的現象を現出することが、人間社会の歴史にはあるのだということを示したのだった。

 

 

 

賢者の巻物D

「妖怪学」井上円了

 

 

 

夏と言えば「お化け」。日本の風土は、夏に蒸し暑く、寝苦しいこともあり、昔から、お化けは夏によく出る。

お化けにもいろいろあるが、日本では大きく妖怪と幽霊に分けられる。妖怪とは、様々な場所で起こる不可思議な現象に与えられた名前のことであり、幽霊とは、恨みを抱いた死者の怨念のことだろう。どちらも科学的・物理的には実在しない。にもかかわらず、お化けは実在してしまう。

ゲゲゲの鬼太郎と握手はできないが、不可思議現象は前近代に限らず今でも起こる。死んだ人間が物理的に活動するはずはないが、「恨みを抱いて死んだ人間」はいる。「人を呪わば穴二つ」と言い、切腹、特攻、自死による他者攻撃といった呪術にすがる衝動が、日本人の精神にはしばしば宿る。怪異や怨念は、人間にとっての現実である意識の世界で、どうしようもなく実在してしまう。

東洋大学の創設者、井上円了は、明治を代表する哲学者であり教育者だった。しかし、彼の名前は哲学よりも、妖怪研究のパイオニアとして知られている。

哲学による日本の近代化を目指した円了は、無知蒙昧な迷信から人々を解放するため、古今の妖怪に関する文献を渉猟し、全国各地の怪異譚を取材して、様々な不可思議現象について、物理学・医学・心理学上の知見から合理的に真相を究明していった。妖怪についての膨大な知識と、探偵さながら怪異を暴くその様より、「不思議博士」「妖怪博士」と呼ばれた。

『妖怪学』は、彼が妖怪と呼ぶ様々な怪異現象の紹介と、それに対する科学的解釈、迷信批判を展開した論文である。例えば、「こっくりさん」という現象が起こる物理的・生理的・心理的原因を解明し、その起源が古いものではなく、明治期にアメリカ人が伝えたテーブル・ターニングという占いであることも暴いてしまう。

妖怪を、科学的に未解明な現象である「真怪」、自然現象によって実際に発生する「仮怪」、誤認や恐怖感などの心理的要因が生む「誤怪」、人が人為的に引き起こす「偽怪」に分類し、俗信の打破を目指した円了だが、妖怪を否認したわけではない。妖怪とは「心これなり」とし、宗教信仰を奨励して霊魂の不滅を説いてもいる。

自分が害した死者の悪夢にうなされる者へ、「幽霊なんて非科学的だから気にするな」と言ってあげたところで意味はない。そんなことは元より分かっているのだ。科学的に実在しないものは、科学の力では消せようがない。だから、怖い。だから人は、鎮魂の儀式を必要とする。死者の魂を鎮めることで、生者の心を鎮めるために。

妖怪はその後、柳田國男ら民俗学者によって、体系的な研究の対象となる。

 

 

 

賢者の巻物E

「一般言語学講義」フェルディナン・ド・ソシュール

 

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初めに言葉ありき。人は言葉を交わしあうことで、社会を営む。人間にとっての現実とは、社会的現実だし、社会的現実とは、言語という記号の織りなす現実だ。

日本では「蝶」と「蛾」を区別するが、フランスでは両者はともに「パピヨン」と呼ばれる。生物学的にも同じ鱗翅目で、明確な分類はない。それでも、日本で蝶と蛾は違う虫だ。ブリの煮物とハマチの刺身、料理しか見たことのない者にとってはそれぞれ別の魚だが、知る者にとっては成長段階の異なる同じ魚だ。別の名前がついていれば、言語記号の作る現実において、科学的には同じ物でも別の実在になる。我々の世界は、知っている言葉の数だけ広く、言葉たちの関係の分だけ複雑になる。

19世紀のスイスに、裕福な名門貴族の貴公子として生まれたソシュールは、早熟の天才と呼ばれ、ヨーロッパの学問の本場であるドイツとフランスにおいて、十代の頃から比較言語学者としての名声を得ていた。しかし、彼は同時代の言語学に疑問を感じていた。当時の言語学は、フランス語やドイツ語など各言語の起源や、各言語がいかにして分岐したのか、いかに「進化」してきたかなど、言語の歴史的変遷の様態を探求する通時言語学が中心だった。だがソシュールは、現在進行中の言語現象の厳密な科学的構造を探求する共時言語学こそが必要だと考えた。

そんな彼の言語についての理論を紹介したのが『一般言語学講義』である。だが、著者は彼ではない。彼の死後、弟子のバイイとセシュエが、スイスの大学で三度に渡って行われた一般言語学に関するソシュールの講義を、学生たちのノートを編集して再現したのがこの書である。

ソシュールは言語を、実際に話され聞かれ書かれ読まれる言語使用「パロール」と、その使用を可能とするシステム「ラング」に分類し、前者は言語変遷の原因となるため通時言語学の対象とし、後者を科学的探究たる共時言語学の対象とした。彼は、「ラング」は「恣意的な体系」だと指摘する。各単語は、その音声形式「シニフィアン」と概念「シニフィエ」が一体となったものだが、両者の繋がりには合理的必然性が無い。「机」をisu、「椅子」をtsukueと呼んでも本質的な問題は無いのだ。更に、各単語の意味・価値は、他の単語との差異なのだという。「机」と「椅子」の意味・価値は他の家具の名との差異であり、チェスのコマが他のコマとの違いに応じてゲームにおける役割を持つように、言葉は相対的な差異の体系の中でのみ意味と価値を持つことができ、そうした言葉の差異の体系がそれを使用する人々の現実認識と文化を規定しているのだ。

ソシュールは存命中、自説を不充分・不完全なものと考えていた。しかし、彼の指摘した「言語記号の恣意性」は、20世紀後半の哲学・思想を席巻したフランス現代思想の源流として、絶大な影響力を遺した。

 

 

 

賢者の巻物F

「存在と時間(上)」マルティン・ハイデガー

 

 

 

机の引き出しからなくなったトンカチを探したら、机の上にあった。トンカチが宙に浮かない理由を考えたら、万有引力の法則があることが分かった。教科書で調べたら、ニュートンがこの法則を発見したという事実があった。物がある。法則がある。事実がある。何かがあるかどうか、私達は探したり考えたり調べたりする。もちろん、物事が「ある」ということがどういうことかなんて分かっている、つもりだ。でも、「ある」って何?と聞かれても、簡単には答えられない。「存在」を、定義できない。そもそも、質問がおかしい。分かりきったことなのだから。

第一次世界大戦後のドイツで哲学を講じていたハイデガーは、師のフッサールから「現象学」という、認識に関する哲学を学んでいた。「現象学」は、あらゆる学問上の概念や日常的な概念に基づく判断をいったん保留して、純粋な意識の前に現れる「事象そのもの」を捉え、それを全ての学問の基礎にしようとする哲学として提示されていた。この現象学を使って、「存在する」とはどういうことかを究明したのが、『存在と時間』である。

この本は「存在」について探求しているが、それは、「なぜこの世界は存在しているのか」といった存在の起源の探究ではなく、「世界は本当に存在しているのか」といった存在の証明でもない。あくまでも、「ある」とはどういうことなのかについての究明を目指している。そして、その究明により、私達にとって分かりきった「存在する」が、私たちに定義しがたい理由も見えてくる。「ある」が分かりきったことになっているのは、私達が、存在を存在させる存在として存在している存在だからだ。

『存在と時間』の第一編では、こうした実存を生む人間のことを「現存在」と呼び、現存在が自己や事物を存在させる構造を「配慮・了解・解意」の順で説明する。机上にある物は、釘を打とうと配慮される時、叩くという用具性が了解され、トンカチとして解意される。机はトンカチがある場所という用具性を持って現れ、これらトンカチや机といった用具性がある「所」として「空間」が現れ、あらゆる存在のある場として「世界」も現れる。これは、現存在を含め全ての「存在」が「世界--存在」であることを開示している。

現存在は、世界内の共同現存在たる他の人間に、自分の解意したことを「言明」する。言語を用いた会話は、存在を言明しているはずなのだが、世間話として交わされるうちに言葉は存在を曖昧にする。現存在がこの世間話に溶け込んでいると、主体的に生きようとする本来性を見失い、非本来的な「頽落」した状態へ投げ出された日常を送ってしまうという。

では、現存在の本来性とは、その本来性を回復する方法とは、そして存在と時間の関係とは、何であろうか?

 

 

 

賢者の巻物G

「存在と時間(下)」マルティン・ハイデガー

 

 無題

 

「武士道と云ふは死ぬことと見つけたり。」江戸時代中期に著された武士道倫理の名著「葉隠」の一節である。人間は、他人と交換できない己の「死」へ臨んだ時、他人と交換できない己の「本来性」へ呼び戻される。そして、本来あるべき自己の可能性へ自分を投げ入れる選択の自由を獲得する。「死」に臨む「生」を知るとき、「在るべき生」を生きる可能性も開かれる。

幼い頃、死ぬのが怖かったことはないだろうか。死について教わることもないうちから、子供は自分が存在しなくなる不安を感じることができる。存在する以上、存在しなくなる可能性も、あるのだから。人間はその不安から逃れ、死を免れることを志向して、そのための手段・方法を探し、その志向に適う用具的存在たちと出会うのである。よって、死のないところには存在もない。だが一方で我々は、死に背を向けた日常的世間へ頽落することで、子供の頃に強烈に抱いていた死への不安を忘れてもいる。

ドイツの哲学者ハイデガーが1927年に発表した「存在と時間」は、「存在すること」について探求した書である。その第一編では、周囲の事物を用具的存在として了解する人間を現存在と呼び、存在を存在させる存在として定義したが、第二編では、現存在の存在の意味を時間性として解明する。

現存在は「関心」を旨として存在しているが、日常的には世間話の中へ埋没し、非本来的な状態に投げ出された世間的自己として生きている。しかし、「死」という他者と交換不能な、全てが不可能になる最期の可能性に臨んだ時、世間から切り離されて孤独になることで、本来的な自己の存在を取り戻す。では、現存在を「死」に臨む本来的な自己へと呼び戻すものは何か。ハイデガーはそれを「良心」と呼ぶ。「良心」とは、今までの生に対する「後ろめたさ」を抱えた現存在自身からの呼び声である。「良心」に従い、自己のあるべき可能性へ自己を投げ入れる覚悟を持つとき、現存在は自己の最期の可能性としての「死」へ臨む存在となる。

重要なのは、この本来的な可能性としての「死」へ向かう存在の意味が「時間性」であるということだ。死への可能性から「将来」が、後ろめたさから「過往」が了解され、最後に決断し行動する「瞬視」という現在が生まれる。時間とは、こうした存在の意味として生起するものである。通俗的な過去・現在・未来へと流れる時計的時間は、ここから派生した概念に過ぎないとハイデガーは言う。

己の良心に従い、ナチス・ヒトラーに賭けた彼は、希望から失望、絶望、敗北へと墜ちていった。だが、「存在と時間」は二〇世紀最大の哲学書として今も君臨している。

 

 

 

賢者の巻物H

遠野物語」柳田國男

 

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「存在」とは「用具性」をもって「ある」ことだ。哲学者ハイデガーはそう言明した。でも、存在にはもう一つの性質、「他者性」がある。

日本語で「存在する」は、「ある」の他に「いる」とも言う。日本では古来全ての存在は、「他者」として「いる」ものだった。存在者から他者性を切り捨てると、用具性だけが残る。人間にとって、存在から他者性を切り捨てて用具性を見出すことは、合理的になることを意味する。近代合理主義革命以後、人は合理的であろうとして、非生物から他者性を切り捨て、非動物から、非哺乳類から、非人間から、他者性を切り捨ててきた。条件次第では人間からも他者性を切り捨てられる。とはいえ現代では、言語を解す心を持った人間だけに他者性を認め、人間以外を他者と見なすことを、擬人化、偶像化と呼ぶ。だが、存在は根源的には他者性を持つ。それを捨象するもしないも、人の勝手だ。

日本民俗学の開拓者、柳田国男が著した民俗学誕生のモニュメント的書が「遠野物語」である。農商務省の官吏だった柳田は、日本各地の民話伝承に興味を持っていた。歴史家が資料を元に描く歴史は、戦争や反乱など社会の表に現れる事件の記述に偏り、民衆の生活文化は隠されてしまう。隠れた民衆の生活史を描くには、人々が継承してきた伝統風俗の観察と、語り継がれた民間伝承の蒐集をするしかない。各地の民話を蒐集していた柳田が、岩手県遠野町の民話蒐集家である佐々木喜善から聞いた故郷の怪談・奇談・神話の類を書き纏め、「遠野物語」が世に出ることになった。

「願わくは之を語りて平地人を戦慄せしめよ」と著者が述べたように、山村の民が伝える、山神・山男・雪女・天狗・大蛇・白鹿・狐・幽霊・座敷童・河童などとの邂逅の物語は、合理に走る都市民へ、怪異のリアルな実在を知らしめた。

柳田は妖怪や幽霊を、科学によって暴かれるべき迷信とは見なさない。彼にとって怪異の伝承は、人々の信仰の有り様とその変遷の歴史を知るための、「事実」だ。後の著書「妖怪談義」では、他者としての水辺や水源に対する人々の畏敬の念が薄れていく中で、河の童子として現れていた水神が、信仰を失って、蛇と猿のハーフのような、頭に皿を載せたカッパという妖怪キャラへ零落していく変遷が分析されている。

突発的な狂気が生む殺人事件を、「狐憑き」という説明で納得する昔の民と、「荒廃した現代の心の闇」として納得する今の民。民俗学は科学を目指しつつも、やがて、非合理の合理を見抜く思想に根拠を与える学となっていく。

 

 

 

賢者の巻物I

「相対性理論」アルベルト・アインシュタイン

 

 相対性理論 

アルベルト・アインシュタイン

駅を通過中の列車の中でAさんが、プラットホームでBさんが、同時にボールを下に落とす。床までの距離はどちらも1m。AさんもBさんも、自分のボールは真下へ向かっているように見える。しかし、列車の速度で進むAさんのボールを静止しているホームのBさんが見ると、電車の進行方向斜め下向きに進んでいる。三平方の定理により、≪電車の進行距離≫²+≪Aさんの手から床までの距離≫²=≪Aさんのボールが移動する斜め下向きの距離≫²。Aさんのボールの移動距離は明らかにBさんのボールの移動距離より長い。でも、落ちるのは同時。なぜなら、時間=距離÷速さ。Aさんのボールは、落下速度に列車の速度を加えた速さで進むので、進行距離も長くなるが速度も大きい。ボールが床に到達するのに1秒かかるとして、電車の速さが秒速10mならAさんのボールが床につくまでの横向きの移動距離は10m。ならば、斜め下向きの移動距離は10²+1²の平方根だから√101m。この時、横向きの速さと下向きの速さの合計も、秒速10m²+秒速1m²の平方根だから、秒速√101m。床に到達するまでの時間は、距離√101m÷速さ√101m=1秒となり、Bさんのボールが落ちる時間と等しくなる。

次に、宇宙ステーションを光速に近い速さで通過する宇宙船内でAさんが、宇宙ステーションでBさんが、同時に天井から真下の床へ同じ距離だけライトで光線を落とす。すると今度は、Bさんの光線が床に到達した時、Aさんの光線はまだ床に届いていない。なぜか。光速は秒速30万km弱。これを秒速Ckmとして、Aさんの宇宙船が秒速Vkmで進むとしたら、Aさんの光線が、Aさんの時計で、T秒後に床へ落ちた時、横向きにはVkm × T秒、移動していることになる。すると、三平方の定理から、斜め下向きには≪宇宙船の移動距離VT≫²+≪Aさんの光線が真下の床へ着いた距離CT≫²の平方根だけ移動していることになるはず。でも、その速さはどんなに速くても秒速30万kmより速くなることが宇宙では不可能だ。つまり、距離は伸びても速さは伸びないので秒速Ckmに宇宙船の速さ秒速Vkmを加えられない。よって、≪Aさんの光線が移動した距離≫÷≪光線だけの速さ≫ が、Aさんの光線が床へ到達するまでにかかる時間となり、これではBさんの光線が床へ到達する時間より長くなってしまう。

ここで、宇宙船で移動するAさんの時間をTa、停止しているBさんの時間をTbと、分けて三平方の法則で式にしてみる。すると、≪Bさんから見た宇宙船の移動した距離≫²+≪Aさんから見た光線が真下の床へ着いた距離≫²=≪Bさんから見たAさんの光線が移動した斜め下向きの距離≫²は、(VTb)²+(CTa)²= (CTb)² となる。この式を変形すると、Ta=(1-V²/C²)×Tb と表せるが、これは、宇宙船の速度Vが大きくなればなるほど、Aさんの時間Taが、Bさんの時間Tbより小さくなる、即ち遅くなることを示している。

1905年、スイスの特許局に勤めていたドイツ生まれのユダヤ人アインシュタインは、博士号取得のために提出した「特殊相対性理論」についての論文により、人類の世界観に変革をもたらすことになった。

ニュートン力学は、宇宙に絶対的な時間と空間があることを前提に構築されていたが、電磁気学におけるマクスウェル方程式の発明と、光の不思議な性質の発見で、この前提は覆る。赤道上、地球の自転速度は時速1700km。太陽からの光は、太陽へ向かう位置の方が、太陽から遠ざかる位置より、速くなるはず。しかし、その差は測定されない。この事実から導かれる「光速度不変の原理」を基に、アインシュタインは科学的事実として、つまり、数式による事象の言明として、絶対的な時空間を否定した。代わりに、光の速さが絶対的な尺度の王座へ就くことになる。

慣性系の速度の違いにより、時間は伸びて空間は縮む。更に、光速に近づく物質の質量は、急速に増大して加速を抑え、秒速30万kmに達することがないよう、ブレーキがかかる。質量の増大はエネルギーの増大となる。E=mc²。これも、アインシュタインが導いた結論の一つ。

1916年、重力が質量による時空間の歪みであることを示すアインシュタイン方程式の完成とともに、「一般相対性理論」が発表される。不動の時空間は存在しない。時空間は、歪み、捩れ、消え去りもするものだった。

これが、数式の描く宇宙の実在。

 

 

 

賢者の巻物J

「悲しき熱帯」クロード・レヴィ=ストロース

 

 

 

世界的にはスマートフォンが携帯電話市場に広まりつつあった2010年代前半、日本では費用・サービス・操作性等で独自の進化を遂げた従来型の携帯電話がいまだにシェアの半分を占め、根強い人気を誇っていた。これをガラパゴス携帯、略してガラケーという。南米大陸の西方にあるガラパゴス諸島が、孤立しつつ独自の生態系を育んだように、外部の環境から閉ざされた特殊な市場・社会が独自の商品やシステムを育むことを、ガラパゴス化と呼ぶ。

個々の環境が独自に紡いできた商品やシステムそして文化は、その環境に変化がない限り、独自に進化発展し続ける。だがここに、外来のグローバルな環境で勢力を持った商品・システム・文化が侵入してくると、その成長は絶たれ、淘汰され、消滅する。そして、どんなガラパゴス文化を育んできたとしても、それが蹂躙されてしまった後では、グローバル化した文化が未発達であるがために、未開社会と呼ばれる。

フランスの民族学者レヴィ=ストロースは、南米ブラジルの先住民社会で行ったフィールドワークの成果と、第二次世界大戦中の亡命先アメリカで学んだ構造言語学の方法論を元に、論文「親族の基本構造」を執筆し、未開社会に見られる婚姻制度・交差いとこ婚が数学的に巧妙な記号体系を持ち、近親婚を回避して部族社会を維持する構造が成り立っていることを発表した。ここに、20世紀後半の思想界に君臨した構造主義の狼煙が上がる。

「悲しき熱帯」は、レヴィ=ストロースがブラジルの少数民族を訪ねた旅の記録だが、未開社会の文化習俗に対する分析と、西洋中心主義に対する痛烈な批判、人類と文明に対する自己の思想を記した極上のエッセーと言われている。カデゥヴェオ族、ボロロ族、ナンビクワラ族、トゥピ=カワイブ族など、数も言語も習俗も宗教も異なるこれらの部族は、男女ともにほぼ全裸で生活し、その外貌は正に未開人である。しかし、後の著書で彼は、神話的・呪術的・象徴的な記号の体系によって、彼等の生活は独自の豊かさを保守していることを示した。近代科学の概念的思考と同等に合理性を持つ、「野生の思考」である。

だが、それも辛うじて保守されていただけ。スペインによりマヤ、アステカ、インカという大文明が破壊され、ポルトガルによりブラジルが侵略され、キリスト教宣教師により伝統的信仰が解体され、疫病により暴力的に人口が激減した、悲しき熱帯。

紡ぎあげられた文化という織物は、ひとたび断ち切られれば、再び紡ぐ者はいなくなる。

 

 

 

賢者の巻物K

「知の考古学」ミッシェル・フーコー

 

 

 

歴史は、例えば革命とか戦争とか経済発展とかについて、その因果関係の説明のために語られる物語だ。軍国主義から戦後民主主義へ至る物語、東西冷戦から自由主義の勝利へ至る物語、「ゆとり教育」から「脱ゆとり」へ至る物語等々。人々はこれらの物語を通して過去を知る。この様に、あるまなざしを基にした解釈を物語るのが歴史の仕事。対して考古学の仕事は、ピラミッドや兵馬俑や古墳など、過去の遺物を発掘すること。歴史による物語化がなければ、それらはただの遺物。でも、物語が事実そのものでないのに対し、遺物は正真正銘の遺物そのものだ。

20世紀後半、学生と労働者の革命運動の中心だったフランスに、心理学出身の思想家として登場したのがミッシェル・フーコーだ。精神疾患の研究をしていた20代の頃、精神病院で行われる患者に対するロボトミー手術を目にした彼は、心理学・精神医学の科学性に疑問を持つ。そして、これらの学問が言うところの「狂気」とは何なのか、これらの学問の観点から離れ、歴史を遡って探求した『狂気の歴史』を著す。

中世と、ルネサンス期と、啓蒙主義の時代と、心理学が誕生した19世紀以降で、「狂気」について語られる言説は異なる。激減したハンセン病患者の空いた収容施設を埋めるために、初めて狂人が収容されるようになった中世末。狂人を神に近づきすぎた天才と見るまなざしがあったルネサンス期。理性的でないと見なされた浮浪者や無職者や虚弱者や孤児や政治犯が、まとめて狂人として収容され、近代的理性を持たない者=狂人というまなざしが生まれた啓蒙主義時代。心理学の登場は、これらの人々と「本物の狂人」たる精神病者を仕分けするようにはなるが、非近代性を忌避するまなざしは継承され、「狂気」は排除すべき「病気」となった。だが、それも一つのまなざし。狂気の排除に科学的正当性が認められるわけではない。

その後の著述『臨床医学の誕生』や『言葉と物』においても、フーコーは常に歴史の進歩や連続性に疑問を示し、各時代に記された文献に残る言説そのものを発掘しようとした。そして、各時代のまなざし〈エピステーメー〉が生まれる条件を分析した。

『知の考古学』は、歴史に進歩や連続性を求める近代的思想史の人間中心主義的方法論と対峙しながら、自らの方法論を理論化した書である。現代のまなざしにおいて過去を格付け、物語ってきたのが近代的な歴史。この書は、そうした近代の進歩主義的歴史観から離脱するための、戦術書である。