2018年度特別コラム

「サピエンスの揺り籠」

 ユヴァル・ノア・ハラリ『サピエンス全史』より

 

 

 

 猿人 に対する画像結果

 

第一回

〈取るに足らない種

 

 ライオンは全ての草食獣を捕まえ、他の肉食獣に邪魔させないために、鋭い牙と強靭な筋力を獲得しました。動物とは、生存環境で起こる生命維持に矛盾した事態を解消するため、「動く」ことを選択した生物であり、種々の動きに伴って身体に掛かる負荷を克服しながら自己を強化して、その状況に適応した個体のみが生き残ることで、様々な種へと進化していきます。では、我らサピエンスは?

今から135億年前に物質とエネルギーが誕生し、やがて原子と分子が現れ、45億年前に地球が形成、38億年前に有機体が出現しました。その後数十億年の時を経て600万年前、DNAの98.4%が等しいと言われるヒトとチンパンジーが分岐し、250万年前にアフリカでホモ属が進化して最初の石器を使用、200万年前にはアフリカ大陸からユーラシア大陸へ拡がって、複数の異なる人類種へ進化していったというのが、古人類学で認識されているサピエンス誕生以前の人類の歩みです。

現在までのところ、アウストラロピテクスを始め、ホモ・ソロエンシス、ホモ・フローレシエンシス、ホモ・ルドルフェンシス、ホモ・エルガステル、ホモ・エレクトス等々、20種ほどの人類が確認されています。

環境や身体上の要因で直立二足歩行をするようになった人類は、やがて空いた手で道具を使うようになり、旧石器時代が始まります。更に、これと並行して言語による情報交換が、群れの中の個体間で行われるようになりました。こうした行動の選択は神経細胞を成長させ、脳を巨大にし、学習能力と社会構造を発展させることになったため、種としての大躍進を果たしたように見えます。ところが、実のところ道具の使用開始から200万年間、この特技は大した強みにならず、人類はサバンナの辺境で大型肉食獣におびえて生きる、取るに足らない負け組の種であり続けたのでした。

気候変動による森林の減少で樹上生活ができなくなったせいか、人類はエネルギー効率の悪い直立二足歩行を強いられますが、道具と言語の使用で肥大化したその脳も燃費の悪い器官で、過剰に栄養を必要としました。現代人の脳は体重の2〜3%を占めるだけですが、体の消費エネルギーの25%を使います。更に、二足歩行は女性の産道を狭めたため、未成熟な子を出産せざるを得なくなり、養育に時間がかかるようになりました。偉大なはずの石器も、肉食獣が食い散らかした動物の死骸の骨を割って骨髄液を啜るために仕方なく使用していたものであり、雄々しい狩猟用の武器などではありませんでした。

しかし、この逆境こそが道具と言語と養育のための社会的連帯を発展させ、やがて人類を百獣の王へと昇らせるのです。

 

 

 

 ネアンデルタール に対する画像結果

ネアンデルタール

 

言語と認知革命〉

 

 どんな動物も、何かしらの言語を持っています。ミツバチやアリのような昆虫でさえ、複雑な意思疎通の方法を持っています。サバンナモンキーは鳴き声で「気をつけろ!ライオンだ!」と群れの仲間に警告したり、逆にライオンがいない時に「ライオンだ!」と嘘をつき、怯える仲間を騙して獲物を奪ったりします。クジラやゾウもそれに引けを取らぬ 言語能力を持っていますが、ではサピエンスの言語は、他の動物の言語と何が違うのでしょう。

直立二足歩行のアウストラロピテクスが、石器を使って死肉の骨髄を啜る生活を始めてから200万年間、人類種はサバンナで小動物を狩る程度の存在でしたが、40万年前の原人ホモ・エレクトスの頃には、大型動物を狩るほどに体も脳も道具の質も発展し、アフリカ大陸からユーラシアに広がっていきました。火を使って調理するようにもなり、これにより人類は腸の負担を減らし、その分のエネルギーを脳に回せるようになります。

20万年前にホモ・エレクトスとの生存競争に勝ったネアンデルタールに至ると、165センチを超える身長と現生人類より大きな脳を獲得し、衣服を着て氷期のヨーロッパで強力な狩人となり、死者を弔う文化と、独自の言語を持っていたと言われます。ユーラシア系の現代人のDNAの中には、1〜4%だけ彼らのDNAが発見されており、アフリカを出た我々サピエンスの祖先と一部交雑していたことが分かっていますが、体格に優れ、言語を使う大きな脳も持ちながら、なぜかネアンデルタールはサピエンスに敗れ、絶滅してしまいます。

サピエンスの何が彼らより優れていたのか、はっきりとしたことは不明です。しかし、ネアンデルタールがユーラシアで活動していた頃、アフリカのサピエンスの脳に何かが起き、現生人類と同じ言語能力を獲得したという仮説が立てられています。

サピエンスの言語は、限られた音素の組み合わせでこの世界の物や現象に名前を付けて分節化する働きを持ち、分節化で生まれた単語が見ず知らずの人々の間を流通します。そして、切り分けられた事物が要素となって、物理的な現実とは別の、記号的実在の世界が創出されます。この記号的実在が生存に寄与する何がしかの道具としての性質を持つため、サピエンスは強いのです。

ところで、サピエンスの言語がその様な用具性を獲得したのは、噂話のおかげだと考えられています。群れの中の誰かについての愚痴や陰口が、サピエンスに物語る力を身につけさせたということです。

言うなれば、ゴシップがもたらした認知革命です。

 

 

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シュターデル洞窟で発見された半獣半人の彫像。

約三万二千年前、世界最古の偶像と言われる。

 

虚構の実在〉

 

 私達は言葉を、どんなことに最も多く使用しているかというと、噂話の類でしょう。学校でも職場でもテレビでも、ゴシップほど盛り上がり、人間に快感を与えるものはないのかもしれません。一説に、この快感が私たちの祖先の脳に、クジラなどの高い知能を持つ動物や、ネアンデルタールのような他の人類種を圧倒する、認知革命を引き起こしたと考えられています。噂話が人間に語る力を与え、記号と情報の世界を発展させたのです。

7万年前のアフリカで起きたとされるこの認知革命と器用な手指により、サピエンスは先行したどの人類種よりも、更に多くの道具を作ることができるようになります。しかし、この革命が持つそれ以上に大きな意義は、自然界には存在しない存在、つまり虚構を語ることができるようになったことです。

自然界に存在しない存在としては、例えば霊魂や神々や半獣神の物語が挙げられますが、民族や国家、権利や義務、正義と悪といった概念も自然界には無いものです。過去・現在・未来といった時間の流れも、自然界にあるのは今この瞬間だけですから、虚構と言えます。万有引力の法則や相対性理論も見たり触れたりできないという意味で虚構です。私たちの文明を支える様々な概念は、自然界には存在しない虚構であり、人間はその虚構の共通認識を前提に、見ず知らずの他人同士でも集団として協力し合える社会を形成しているのです。もちろん、それを逆手にとって他人を騙す人たちもいますが、そうした嘘と虚構は別のものです。

アリやミツバチの群れは遺伝情報を数世代で共有しますが、それは同じ巣の近親者同士に限定されています。オオカミやチンパンジーなどの動物も群れを作りますが、実際に触れあう少数のごく親密な個体同士でなければなりません。実際に触れ合うことで上下関係のある組織化された社会を形成する場合、集団の大きさには限界があり、100頭を超す群れを動物学者が観察する例はごくわずかです。  

認知革命によりサピエンスは、噂話の助けでずっと大きな集団の形成が可能になりますが、そこにも限界はあり、噂話でまとまることのできる集団はせいぜい150人だと言われています。今日でも、軍隊の中隊や中小企業は、互いに噂し合える規模では機能的な関係を維持しますが、150人を超えるとそうはいきません。

人類が数千数万人の軍隊や企業を運営し、数百万数千万人の都市や国家で秩序を維持できるようになったのは、神や人権、法や正義、国民や貨幣といった、自然界には存在しないものの存在、虚構を一緒に信じることができたからなのです。

 

 

 

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 絶滅したオオナマケモノ

 

第四回

〈エデンの園の覇者〉

 

 言語による物語、虚構の世界を手に入れる認知革命を経たサピエンスは、ネアンデルタールなど先輩の人類種が絶滅していく中で、その勢力範囲を次々と拡大していきました。7万年前にアフリカ大陸からユーラシア大陸に進出した後、4万年前にはオーストラリア大陸へ、1万6千年前にはアメリカ大陸に行き着きます。

このようにユーラシアの外、南太平洋の大海原や北極圏の大氷原を越えていくことができた人類種はサピエンスだけでした。認知革命は、あらゆる環境を活用する術を身につけ、大海を越える筏や櫂、氷雪に耐える毛皮の防寒着など、様々な道具を作り出すことを可能にしたのです。更に、言語ネットワークで繋がる社会性がこの大冒険を実現させたと考えられます。

サピエンスの生活圏拡大は、一方で他の生物種、特にタンパク質の豊富な大型動物にとって最悪の脅威でした。海は人類だけでなく、あらゆる陸上動物にとって障壁だったため、オーストラリア大陸やマダガスカル島など遠隔地の生物は、地球上で独自の進化を遂げていましたが、サピエンスの侵入によって大絶滅に追いやられていきます。オーストラリアには独特の有袋類が数多く生息していましたが、数千年の内に、体重200キロ体長2メートルのジャイアントカンガルー、大陸最大の捕食者だったフクロライオン、2.5トンもある巨大なディプロドトンなど、50キロ以上の有袋類24種のうち23種が絶滅しました。アメリカ大陸では、マンモスやマストドン、クマほどもある巨大な齧歯類、馬やラクダ、巨大ライオン、サーベルタイガー、身長6メートルのオオナマケモノなどが、サピエンスの侵入後2千年の間に姿を消しました。北米では大型哺乳類47属のうち34属が、南米では60属のうち50属が失われ、何千種というもっと小さな哺乳類や爬虫類、鳥類、昆虫やその寄生虫が絶滅させられたのです。彼らにとってサピエンスは、史上最も危険な種でした。

さて、認知革命後サピエンスは、この狩猟採集生活を数万年間続けていましたが、農業革命後の1万2千年や、産業革命後の200年に比べ、それは非常に貧しく、不健康で、知的レベルの低い野蛮な生活だったと考えられがちです。確かに子供の死亡率は非常に高く、今日ではたいしたことのない怪我で命を落とし、動けなくなった怪我人や老人など弱者は置き去りにされました。しかし、運動能力や器用さや自然に関する知恵に優れた彼らは、農耕民のように麦や稲の世話のため一日中働く必要がなく、企業社会の過労死もない、3日に1日3〜5時間の狩猟採集で偏りのない様々な食料を好きなだけ摂取することが許された、エデンの園の住人だったとも言えます。

 

 

 


家畜になった牛と、腰の曲がった人類

 

第五回

〈農業革命の罠〉

 

一万年ほど前、サピエンスの一部は幾つかの動植物の生命を操作する知恵を得て、それに時間と労力のほぼ全てを傾け出しました。土を耕し、種をまき、水をやり、雑草を抜き、羊を草地に連れていき、朝から晩までそうやって働いてより多くの食料を確保する、農業革命です。

農耕は、紀元前九五〇〇年〜八五〇〇年ごろ、トルコ南東部・イラン西部・レヴァント地方といった限られた範囲でゆっくり始まりました。七万年前にこの地域へ進出したサピエンスは、その後の数万年間は狩猟採集をしていましたが、一万八〇〇〇年前に氷河期が終わり温暖化が始まると、小麦など穀類にとって理想的な環境が生まれ、これを食する機会が増えました。穀類は選り分け、挽き、調理しないと食べられないので、一時的な野営地で処理するようになります。人が採集して棲み処へ運ぶと、途中で幾粒もの穀類が落ちてその生息範囲が周囲に広がります。また、狩りのために森や藪を焼き払うと、穀類はその土地の日光と水と養分を独占でき、ますますその数は増えたので、人はこうした一部の植物種の世話にのめりこむようになっていきます。放浪生活は次第に捨てられ、季節的な野営地や永続的な野営地を作り、手の込んだ方法で特定の植物種を栽培するようになりました。

こうして紀元前三五〇〇年までの数千年間に、中東・中国・中央アメリカで、現代人が摂取する九割以上の植物種、小麦・稲・トウモロコシ・ジャガイモ・キビ・大麦などが栽培されるようになりました。この結果、人に栽培された植物種は、それよりはるかに多くの植物種が森林の焼き払いで絶滅していくのを尻目に、種としては空前の大繁栄を達成したのです。

一方で、馬・羊・牛・豚・鶏などの動物種も人の家畜となることで、大小様々な動物種が狩り尽される中、種としての繁栄は獲得しました。しかし動物の場合、種としての繁栄が個の幸福を意味するわけではありませんでした。野生の鶏の寿命は七〜一二年、牛は二〇〜二五年ほどですが、家畜化された彼らは生後数週間から数か月で殺され、食肉処理されます。農耕用の牛は、何年も殺されずに済むとはいえ、生来の衝動や欲望や社会性を絶たれ、去勢され、鞭振る霊長類に屈し、意味も分からず死ぬまで鋤を引き続けます。

でも、それは彼らだけの悲劇ではありませんでした。農耕による食料自給で人口は増えましたが、人が増えれば需要も増え、飢饉による餓死や、定住による感染症、栄養失調も増えます。貧富の格差や争いの規模も拡大し、狩猟時代より労働時間も増えて、腰は曲がります。あるいは人類も、穀類の家畜となったのかもしれません。

 

 

 

 

ハンムラビ王の碑()とアメリカ独立宣言()

 

第六回

人工島の時間と秩序〉

 

 農業革命は、サピエンスに繁栄と進歩をもたらした大きな一歩だという考えがある一方で、地獄のような苦痛との戦いをもたらしたという考えもあります。

確かに、スマートフォン一つで様々なサービスを享受できる今の私達にとっては、現代文明を築くために不可欠な革命だったと言えます。しかし、近代以前の人類の歴史において人口の9割以上を占めていた農民の長く過酷な日々を思う時、広大なエリアを住み処としていた狩猟採集生活より、地球上極端に限定された猫の額のような農耕地に寄り集まって、人口の1割に満たない上層階級に身をすり減らして生産物を貢納し続ける日々が幸福だったとは、簡単には言えないでしょう。

それでも、ひとたび農耕生活に入った人類は決して後戻りすることなく、地上のわずか2%の土地に家を作り、村を作り、町を作り、国を作り、広大な未開地に囲まれたそんな人工の島から抜け出せない生き物になっていくのでした。

ところで、人工の島で生きるようになったサピエンスの社会には、偉大な発明とも言える二つの虚構が発達していきます。その一つは時間です。もちろん、狩猟採集生活においても物語を共有する人類には、過去・現在・未来の意識はありました。でも、必要な食物だけを日々入手していた狩猟採集と異なり、農耕生活は季節に応じて作業を進めていく必要がありますし、旱魃や洪水などの脅威に備えて食料を貯蔵しておく必要もあります。何日も先、何年も先の、未来に対する不安を語り合い、対処していくことで、概念世界に時間が拡大していき、暦や時間に追われる人類の性質が生まれてきたのでした。

人工の島で発達したもう一つの虚構は秩序、または、正義・倫理・道徳と呼ばれるものです。狩猟採集民も数十人から数百人の人々が、語り合いを通して秩序を共有していましたが、農耕とともに生まれてきたエジプト、アッカド、アッシリア、バビロニア、ペルシア、秦朝、ローマなど諸帝国では、何十万〜何百万もの臣民を支配し、何万もの兵士や役人を抱えていたため、より強力な秩序が必要でした。アリやハチの群れのように遺伝子レベルで秩序立った行動ができるわけではない人類は、容易に悲劇的な対立に陥ります。それを防ぐ働きを果たすのが、神話の共有です。

古代のハンムラビ法典が説く身分制と「目には目を」の原理も、近代のアメリカ独立宣言が説く自由・平等の人権も、人々が共有する神話に基づいた共同主観的想像上の秩序であることに変わりはありません。ハンムラビ法典は、ハンムラビ王ではなくエンリル神やマルドゥク神が定めたもの、自由と平等の人権は、トマス・ジェファソンではなく創造主に約束されたもの、あるいは市場原理は、アダム・スミスではなく自然法則なる神の見えざる手が決めたもの、そう人々が信じることでそれぞれの社会の秩序は守られます。更にこの秩序が、王宮や聖剣や宝冠、国会議事堂やバリアフリーの公共バスやナイキのスニーカーなど、建物・道具・装飾具といった人工物の形を定め、それらを求める私達の欲望を作るため、人々からの一層の支持と信仰を得ることができるのです。

 

 

 

 カースト制度 に対する画像結果

インドのカースト制

 

第七回

〈書記とヒエラルキー〉

 

 農業革命後、サピエンスは文明社会を築きますが、その文明には不可欠なものがありました。書記能力です。数万〜数十万の人々の税や裁判の記録を全て脳の中に記憶しておくことはできません。脳の外部に記録するというデータ処理でこれを初めて可能にしたのは、古代メソポタミアのシュメール人でした。初めは、モノの名前と数量しか記すことのできない不完全なものでしたが、やがては神話や歴史、ハンムラビ法典のような法律を記録する完全な書記体系も人類は獲得したのです。

文明を支えたものは書記だけではありません。ハンムラビ法典では人々は上層自由人・一般自由人・奴隷の三つの身分に序列化されていましたが、大規模な協力ネットワークを維持するための秩序には常に、人間を階層化するヒエラルキーがありました。貴族が奴隷より、白人が黒人より、金持ちが貧乏人より、多くの権利を持っていることは、それぞれの時代・地域の共同主観的秩序において常識とされています。スーパーでお金を払って買った人がその商品を持って帰れるのは当然ですが、お金を払わないで持って帰れば罪になります。それと同じように、黒人が白人専用のバスの座席に座るのも、奴隷の男が貴族の娘とデートをするのも、それぞれの時代では罪とされました。生物学的には優劣がなくても、財産、人種、身分、性別、あるいは学歴に応じて権利の有無が決まることは、神の定め、あるいは自然の摂理として認識されるのです。

こうしたヒエラルキーは、全て偶然の成り行きで形成されます。インドのカースト制は、侵略した集団が侵略された集団を支配した結果に過ぎません。アメリカ大陸で黒人が奴隷となったのは、アフリカ大陸の奴隷マーケットがヨーロッパより発展しており、アフリカ人奴隷がヨーロッパ人奴隷より熱帯の環境に適応した優れた労働力だったからにすぎません。しかし、作られた序列環境が進行していくと、実体的な格差が拡大し、各階層のアイデンティティも強化されてしまいます。

どの地域や時代にも見られる序列に男女のヒエラルキーがありますが、男は男らしさを、女は女らしさを示すことで社会に承認されようとするので、その違いがますます強くなるのです。同様に、貴族は貴族らしく、奴隷は奴隷らしく、白人は白人らしく、黒人は黒人らしく振る舞って、想像主観的秩序の中での社会的評価を得ようとするため、それがヒエラルキーの正当性を更に支持してしまうのです。

その形態や組み合わせは変わっても、ヒエラルキーが想像上の秩序によって生み出され、同時にそれを強化し、それに客観的正当性を与える仕組みは普遍的です。

 

 

 

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紀元前7世紀 リュディア王国の硬貨

 

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〈世界の統一と貨幣〉

 

農業革命以後、想像上の構造物はますます複雑になり、サピエンスの子供たちは生まれた時から既存の神話と虚構を刷り込まれ、特定の方法で考え、行動し、特定の欲望を持って、特定の秩序の中で生きるように習慣づけられました。そうした人工的な本能のネットワークを、人間は文化と呼びます。

二〇世紀前半まで学者たちは、どの文化にもそれを特徴づける普遍の本質があると考えていましたが、現代では、近隣の文化との接触や、自らのダイナミクスによって、文化は絶えず変化するものだと考えられるようになりました。

中世のヨーロッパの文化には、富や欲や名誉を超越することを理想とするキリスト教の価値観と、富や欲や名誉の獲得に命を賭ける騎士道の価値観がありました。そして、この二つの信念の矛盾を解消する取り組みとして、十字軍の遠征や騎士団の創設が行われたのです。近代ヨーロッパには、好きに行動することと格差の拡大を是とする自由という人権と、行動の制限と公平の促進を是とする平等という人権が、互いに矛盾しながらも文化としての正当性を持ちました。そして、その矛盾を解消するために、様々な思考と行動が生まれ、改革・革命・戦争を通して社会の形を変えていきました。こうした矛盾、「認知的不協和」が、文化のスパイスとなって変化を促していったのです。

こうした文化の変化には一つの方向性があります。それは、小さく単純な多数の文化が、大きく複雑な少数の文化にまとまっていく、統一・グローバル化という方向性です。「私たち」と「彼ら」に分断された世界を統一していく秩序は幾つか挙げられますが、その中でも最強のものとして考えられるのは「貨幣」です。

貨幣は、人類の生み出した最大の共同主観的現実であり、十字軍の頃、激しく対立するキリスト教徒とイスラム教徒の間でもこの秩序だけは共有されていました。貨幣のなかった時代には、物々交換で交易が行われていましたが、これでは各商品間でそれぞれ交換価値が決まるため、百種類の商品間で四九五〇通りのレートの暗記が必要になります。しかし、皆がタカラガイの貝殻の交換価値を信じれば、全ての品は貝殻幾つ分かを考えるだけで良くなり、それと交換できるのです。

古くは貝殻のほか、塩や穀物、珠や布が貨幣の役割を果たし、今日でも監獄などではタバコが貨幣として流通しています。現代の硬貨も紙幣も仮想通貨も、それ自体に物理的な価値は無いのに、みんなが信じていると信じることで、何にでも化け、どんな敵対者同士にも共有されています。最強の虚構だと言えるでしょう。

 

 

 

 ローマ帝国 に対する画像結果

古代ローマ帝国の版図

 

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〈世界帝国と普遍宗教〉

 

サピエンスの世界を統一、グローバル化していった最強の秩序は「貨幣」でした。あと二つ、これに匹敵する秩序として挙げられるものがあります。「帝国」と「宗教」です。

帝国と言えば、映画や小説の中ではたいてい悪役を演じ、多くの国々や民族を強力な軍事力によって侵略していく存在として、否定的に扱われています。しかし、文明化された社会で暮らすほとんどの人々は、何らかの帝国によって統一された文化を継承することで、そんな映画や小説を楽しんでいるのです。古代のヌマンティア人はローマ帝国の支配と戦って滅び、後にスペイン民族の精神的支柱となりましたが、彼らを讃えるスペインの言語と文化はローマ帝国のそれを継承するものでした。世界の大半は、何らかの帝国に侵略された悲劇を経験すると同時に、その帝国の文化を継承しているのです。

最初の帝国アッカドは周辺の諸民族を支配し、皇帝サルゴンはメソポタミアの一角を統治したにすぎないものの、全世界の統一者を自任していました。その後のアッシリアや新バビロニアの皇帝たちも同様に諸民族を統一し、無限の拡大を志向しますが、ペルシア帝国のキュロスなどは「お前たちを征服するのはお前たちのため」という明確な信念を持っていました。この信念はマケドニアやローマ、イスラムやインド、中国、アステカ、そして後のソヴィエトやアメリカにも共有されていました。帝国は、分断されていた世界に思想・制度・習慣・規範の統一をもたらし、それによって効率的な支配をしつつ、流血の正当化をしていったのです。

宗教も、そんな諸帝国によって広まり、世界を統一する秩序の一つとなりました。マウリヤ朝は仏教を、ローマ帝国はキリスト教を、漢王朝は儒教を、アラブはイスラム教を、イギリスは自由主義を、ソヴィエトは共産主義を、アメリカは民主主義や人権を広め、サピエンスの社会秩序に超人間的な根拠を与えていったのです。

狩猟採集生活の頃は森羅万象や死者の霊を他者として尊重するアニミズムが信じられていましたが、農耕の開始とともに人間に特別な地位を与える神々への信仰、多神教が生まれます。そして、その中から善悪二元論のゾロアスター教やマニ教、古代エジプトのアテン神信仰やユダヤ教に始まる一神教のキリスト教とイスラム教、自然の法則を信奉するジャイナ教や仏教、儒教や道教、ストア主義やエピクロス主義、自由主義や社会主義や人権など、布教される宗教が登場します。

これにより世界は、普遍的秩序という虚構を共有できるようになったのでした。

 

 

 

 

ヴァルトゼーミュラーの作った世界地図(1507年公表)

 

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〈無知の知と未知の征服〉

 

 西暦一〇〇〇年頃のスペインの農夫が、五〇〇年後の同じ土地にタイムスリップしたとしても、見知らぬ人々が営むその生活にカルチャーショックは受けなかったかもしれません。しかし、コロンブスに雇われた水夫がiphone 時代のニューヨークに到達したら、そこは天国か、地獄か、全くの異世界に見えることでしょう。

人類は認知革命や農業革命の前後で、全く異なって見える社会を形成し、人口と財と消費カロリーは飛躍的に拡大しました。しかし、五〇〇年前にユーラシアの西の辺境で始まった革命は、それ以前の革命を圧倒する急速な変化を人類社会に今も与え続けています。科学革命です。

歴史は原因と結果の連鎖ですが、その連鎖は必然的な運命に定められたものとは言えません。そこには常に偶然性が宿り、仏教やキリスト教やイスラム教ではなく、ゾロアスター教やミトラ教やマニ教が三大宗教と呼ばれていた可能性を否定する絶対的な根拠はありません。同様に、科学革命が中国やインド、イスラム社会や中米ではなく、ヨーロッパで起きたことにも絶対的な必然性はありません。この地が、中国やインドやギリシア・ローマの諸学を吸収したイスラム世界や、大西洋を挟んで南北アメリカ大陸に接していたことが、偶然のきっかけとなったのです。

近代科学にはそれ以前の知の体系と全く異なる三つの形式があります。それは、@真理について無知であることを自覚し、A観察したあらゆる現象を数学で示し、B数学化した知をテクノロジーに変換することです。近代以前は、孔子やブッダやキリストやムハンマドなど、いにしえの聖人や預言者が全ての真理を発見したことを前提とし、それを理解するのが学問でした。ところが近代科学は、誰もまだ知らないことを理解するのが学問だと考えたのです。イスラム経由で伝えられた古代ギリシアの諸学は、カトリック教会の神学に批判の目を向けさせ、「どうも教会は真理を知らないらしい」という認識を生みました。それはやがて、「キリスト教自体が真理を知らないらしい」という認識や、「神様ご自身が真理を知らないらしい」という認識にまで至り、人間こそ無限に広がる未知を知りうる唯一の存在だという新たな信仰をヨーロッパに創り出します。

でも、信仰の変化だけで革命にはなりません。新大陸という未知の世界を発見すると、空白の地図を埋めるように植民地獲得を続ける帝国が生まれます。そして、帝国が科学に投資をしてテクノロジーを獲得、その力で征服事業を進めて財を成し、更に研究に投資をするという循環が成立します。科学と帝国主義のコラボレーション、それが科学革命だったのです。

 

 

 

 

1000年〜2000年の世界1人当りGDPの推移

 

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〈成長への信用〉

 

 ある人が銀行を始める。そこに建設業者が一億円預金する。パン職人がその銀行から開店のため一億円を借りようとする。その将来性を信頼した銀行は一億円を融資して、パン職人の口座へ入れる。パン職人は前出の建設業者に店の建設を依頼し、建設業者の口座へ借りた一億円を振り込む。この時、建設業者の口座には二億円が入っている。しかし、この銀行に実際にある現金は一億円だけ。

資本主義社会では、このような架空のお金を「信用」と呼びます。銀行は実際に所有する現金以上の額を、利子をつけて返済できる様々な個人や企業に貸すことで、実際の何倍もの架空のお金「信用」という虚構を生み出しているのです。

近代ヨーロッパは、科学革命が示す「進歩」と帝国主義が示す「拡大」を根拠に、「成長」という新しい信仰を創造しました。経済学者アダム・スミスは一七七六年に出版した『国富論』で、「利益を得た起業家がその利益を投資に使い、人を雇って更に利益を増すことが、全体の富と繁栄を生む」と論じていますが、科学と帝国への投資が、その進歩と拡大という利益を生み、資本主義への信仰を強めたのでした。

きっかけは、コロンブスなど探検家への投資でした。新大陸や新航路の発見は、植民地の拡大と富の獲得をもたらし、冒険や征服事業への更なる投資がなされ、スペインとポルトガルの大帝国が誕生しました。その後、オランダがこれを抜いて海上帝国を作り、イギリスが更にそれを抜いて、フランスと競いながら大英帝国を築きます。これらヨーロッパの帝国は、税と略奪に依存したアジアの帝国に対し、信用制度や株式制度に基づく資本家の投資に依存したため、はるかに多くの資金に恵まれたのでした。また、征服事業を実際に請け負っていたのは国家ではなく、東インド会社などの民間企業であり、イギリスがインドなど植民地を直接統治したのはずっと後のことでもありました。

資本主義を飛躍させたのは、一七世紀イギリスに始まる産業革命です。それは、今まで化学的なエネルギーの変換を、食物を筋力に変える肉体に頼っていた人類が、蒸気機関によって熱をエネルギーに変換する術を身につけた革命でした。その後、石炭、石油、電気、原子力、バイオエネルギーなど、科学は新たなエネルギーを発見し、またアルミニウムやプラスチックなど新たな材料も発見し続け、農作物や家畜の命も増産し続けているため、その限界は知識の限界に過ぎなくなりました。

全利益を投資に回す資本主義はある意味で禁欲的宗教ですが、それは無限にエネルギーと材料を浪費する消費主義と裏表の関係で今この瞬間も回転しています。

 

 

 

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意志で動く義手バイオニックアーム

 

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〈揺り籠の幸福〉

 

 人類の歴史は、その幸福にどんな意味を持っているのでしょうか。農業革命は大量の余剰食糧を生み、人口増加と文明化をもたらしました。しかし、人々は農耕可能な限られた土地に縛られ、穀物に依存して栄養状態は偏り、厳しい身分制や国家による戦争と殺戮を受け入れなければならず、狩猟採集時代の行動の自由や多彩な栄養を得る機会は失われました。

近代科学革命と資本主義により、人類の富は指数関数的に増大し、小児死亡率と平均寿命も改善しました。しかし、環境破壊で大量の生物種が絶滅し、交通事故による死、経済不況や社会関係による自殺、帝国主義戦争による大虐殺を引き起こしました。現代は比較的紛争が少ないですが、それも核の恐怖による平和です。

幸福についての研究は、富が拡大すれば一定水準までは確かに幸福度が上がると報告しています。しかし、貧困家庭が宝くじで一千万円を獲得するのと、億万長者が株取引で一億円得るのとでは、前者の方が喜びは大きいでしょう。一定水準を越えた富は幸福に影響を与えません。

生化学者は、人の主観的な快を決めるのは富や社会的関係ではなく、セロトニンやドーパミン、オキシトシンなどの生化学物質が血液や神経で働く複雑なシステムであると言います。快感は人によって一定の水準が決まっており、一〜十の段階があるとしたら、ある人は六〜十の間で揺れ動きながらレベル八で落ち着き、ある人は三〜七の間で変動してレベル五に落ち着くそうです。生化学物質が安定レベルより上に快を引き上げれば幸福を感じ、下げれば不幸を感じますが、その上限下限は決まっているわけです。

生化学に対し、経済学者ダニエル・カーネマンは、生活や人生に意義を感じられるかどうかで幸福は決まると言います。子育ては種々の不快を親にもたらしますが、多くの親は子供こそ幸福の源泉だと感じます。哲学者ニーチェは、再び繰り返したいと思えるような意義ある人生を生きるべきだと言いました。

人類は認知革命後、貨幣などの諸制度や、倫理と価値を生む諸信仰を創造し、そうした共同主観的現実=虚構の中で子を産み、育て、死んできました。その社会は、大宇宙と大自然の脅威の中に浮かぶサピエンスの巨大で繊細な揺り籠のようなものです。その小さな揺り籠の中で人類は今後も飽くことなく快感や意義を求め続けることでしょう。現代の科学は、遺伝子操作やサイボーグ工学によってAIと脳の接続や不老不死まで目指し、人類を神の高みへと上げつつあります。

そんな欲求の先に人類の幸福があるのか、別の幸福もあるのか、私たちは汝自身を知る必要がありそうです。