2019年度特別コラム

意識と神経とアルゴリズム

デイヴィッド・イーグルマン「あなたの脳の話」より

 

 

 

 

覚醒状態()と睡眠状態()の脳波

 

第一回

不規則な脳波〉

 

 もし人類が意識を持たなかったら、この世界は存在していると言えるのでしょうか。もしある人が生涯を無意識のまま終えるとしたら、それは人生と言えるのでしょうか。私たちを取り囲む空間も時間も、私たちの意識無しには有り得ないものかもしれません。

一般に、意識は脳が作り出していると考えられています。確かに脳がなければ意識は生まれようがないでしょう。でも、脳だけで意識が生まれるとも言えません。何かが意識されるには、視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚などの五感を請け負う目や耳が必要です。もちろん、五感等の感覚神経を失っても、思考することはできます。「われ思うゆえに我あり」と17世紀の哲学者デカルトが言ったように、思考があれば意識もあると言えるかもしれません。しかし、考える対象・情報がなければ私たちは何も考えようがありません。五感にしても、その対象となるものがなければ見ることも聞くこともできず、意識は生まれようがありません。意識は、脳を構成する神経細胞と目や耳などの感覚器官だけでなく、対象となる事物や情報によって生成されるとも言えるでしょう。

事実、睡眠状態と覚醒状態の脳波を測定すると、脳を構成する何十億というニューロン・神経細胞は、睡眠中でも覚醒中と同じくらい活動していることが分かっています。脳の活動だけでは意識にはならないのです。ただ、睡眠中の脳波は低周波で振幅が大きく単純なリズムであるのに対し、覚醒中のそれは高周波の小さな振幅で不規則かつ複雑になっています。この不規則性に、意識の謎が隠れているようです。

人間のニューロンは大人と赤ちゃんで数は同じです。両者の違いはニューロン同士の接合・シナプスの量にあり、生まれた時のニューロンはそれぞれ異質でまだ繋がっていません。ところが生後の2年間で、外界からの不規則で多様な感覚情報を取り込む間に、毎秒200万ものシナプスが形成されるようになり、2歳までにその量は100兆以上、大人の2倍に達するのです。新規の情報に接する度にシナプスは形成され、その状況に対応しようとします。意識とは、新しいシナプスの形成が進行する状態を指すのかもしれません。

さて、大量に増えた赤ちゃんのシナプスはやがて半減してしまいます。これは、それぞれの自然環境・社会環境に適応するために不要なシナプスを除去し、有用なシナプスを強化するためです。日本人も赤ちゃんの時は英語の「R」と「L」の発音が聞き分けられるのですが、日本語では共に同じラ行音として聞こえる必要があるため、一つに統合されてしまうというわけです。

 

 

 

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デカルトの心身二元論図

 

心身二元論〉

 

 近代合理主義の父である哲学者ルネ・デカルトは、魂が身体の一部である脳とは別に存在すると主張しました。脳の要素のほとんどは左右一対ずつあるのに対し、二つの大脳の間、脳の正中線上にある松果腺は肉体と精神をつなぐ特別な器官であり、感覚器官からの入力はこの魂の入り口に流れ込み、非物質的な魂の思考に作用する、というのが彼の説明です。松果腺は、概日リズムを調整するホルモン、メラトニンを分泌する内分泌器だと現代では解明されており、魂への入り口ではありませんでした。また、彼の言う魂・精神・心が、「意識」のことを指すのなら、その心身二元論は神経科学を無視した考えだと言わねばなりません。

1966年8月1日、チャールズ・ホイットマンという25歳の青年が、テキサス大学の構内で無差別に銃を発砲、13人を殺害し、自身も警察によって射殺されるという事件が発生しました。事件前夜、彼は既に妻と母を殺害しており、遺書も書いていました。そこには、「最近、わけのわからない異常な考えが次々と襲ってくる。・・・死んだら検死解剖をして、目に見える身体疾患があるかどうか調べてほしい。」と書いてありました。

事件後、検死解剖をした彼の脳には5セント硬貨ほどの腫瘍が見つかり、恐怖と攻撃に関与する偏桃体と呼ばれる脳の領域が圧迫されていました。小さな腫瘍が、穏やかで快活な青年として評判だった彼を殺人鬼に変貌させたのです。悪魔にではなく、腫瘍に魂を奪われたと言えるでしょう。 

人の脳の構築プロセスには25年かかると言われ、幼少期と思春期直前に脳の中で大量の神経細胞の接合・シナプスが生成された後、不要なシナプスは刈り込まれ、有用なシナプスは強化されます。十代の頃は、内側前頭前皮質という自分のことを考えるときに活発になる領域の成長がピークに達するため、成人に比べ非常に強い自意識のストレスが生まれます。また、側坐核など快楽追及に関わる領域の活動は成人と変わらないのに、実行の決断や配慮、未来に対するシミュレーションに関わる眼窩前頭皮質の活動は子供の頃と変わりません。強い自意識と未熟な判断力による若者の危険行為は、認知面の問題というより、成長過程にある神経が引き起こす物理的必然性の結果なのです。

このように、脳の神経作用という物理的反応が意識=心であるなら、心と身体は不可分です。ただし、デカルトの言う魂が、思想など「情報」のことであるなら、それは伝達可能な、身体とは別の非物質的存在と言えるのかもしれません。 

 

 錯視 チェッカーシャドウ に対する画像結果

「チェッカーシャドー」ABは違う色?

 

感覚経験と外界〉

 

事業家であり、パラリンピックのスキー滑降金メダリストでもあるマイク・メイは、3歳で角膜が傷つき失明しながら、視覚を使うことなくスポーツでも事業でも超一級の結果を出していました。その彼が角膜手術を受けて、約40年を経て再び光を取り戻した時に見たものは、目の前に広がるただの光の大洪水に過ぎませんでした。色も形も無い光のシャワーの中に、ぼんやりとした暗い部分が散在するだけで、彼には物体が何かが分からず、奥行きの概念も分からず、光が戻る前よりもスキーは難しくなりました。

今あなたの目の前に見えている物の色や形や奥行きは、客観的に実在するものではありません。外界にあるのは太陽や電灯から放たれた光の反射だけで、眼球を通して網膜が捉えているのは光の波です。それが電気化学信号に変換され、脳内のニューロン間を駆け巡ることで色や形や奥行きが作られ、感覚として経験されるのです。

人間の脳の三分の一は視覚のために使われていますが、聴覚や臭覚や味覚や触覚にしても同じことは言えます。外界には音も臭いも味も、熱さ冷たさもありません。各器官が、受け取った空気の波・臭いの分子・味の分子・温度・質感を電気化学信号に変換し、その伝達が脳内に感覚経験を生むのです。

感覚経験は努力なしに自然と形成されるものだと思われがちですが、そうではありません。内壁に縦縞の描かれた円筒の中に2匹の子猫を入れ、一方の猫が歩くことで円筒が回転するようにします。もう一匹は中心軸に繋がった吊り篭に乗せられて動かない時、正常に視覚を発達させることができるのは、自ら動く子猫だけです。ヒトの赤ちゃんも運動によるフィードバック無しには見えるようにも聞こえるようにもなりません。車の運転席で運転する者と、ぼんやり助手席に座る者を比べると、前者の方が多くの物を見ています

左右が反対に見えてしまうプリズムゴーグルを着けると、あるべき所にあるべき物がない世界でヒトの脳は混乱し、吐き気さえ催すようです。ところが、その状態で2週間も生活してみると、左前方に見えているものを違和感なく右手で右前方から取れるようになり、料理さえできるようになります。

画家や写真家は美しい絵や写真を生み出すために、観察力を全開にして風景を見ます。運動神経にとって有意義な情報を生み出そうとする努力が五感を発達させ、脳内に意味を持った感覚を形成するのです。

 

 

 

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電磁スペクトルにおける人間に見える光の割合

 

第四回

〈内部モデルと共感覚

 

ハンナ・ボスレーという女性は、アルファベットの文字を見ると色を感じるそうです。Jには紫を感じますが、Tは赤く見えます。Hannahという名前なら夕日のように見えます。黄色で始まり、だんだん赤色になったあと、雲のような色になり、また赤と黄色へと戻るという具合です。一方で、Iainという名前などは嘔吐物のように見えてしまいます。これは共感覚と呼ばれる現象で、感覚や概念が混ざり合って経験される状態です。右の例以外にも、言葉に味がする人や、音に色が見える人などがいます。

私たちが見たり聞いたりしているものは、視覚や聴覚や味覚が捉えた光波や音波や分子が電気化学信号に変換され、脳の神経ネットワークで流通された結果生じる内部モデルです。人口の約3%いると言われる共感覚者の脳は、感覚領域間で信号の交じり合いが生じるようになっているため、他の人たちとは異なる内部モデルを作り出すのです。

人間は、周囲の世界には色があるものだと思って暮らしていますが、実際には外部世界に色はなく、電磁放射線の一部が物体に当たって反射したものを私たちの目が捉え、脳が何百万という波長の組み合わせを色として解釈し、内部モデルを作って色の経験が生まれるのです。しかし、人間の視覚でとらえられる可視光線は電磁スペクトルの十兆分の一にも満たず、赤外線や紫外線、電波、マイクロ波、X線、ガンマ線、携帯電話の会話、ワイファイなどは、私たちを素通りして色を生成しません。これらを捉える生物学的受容体がないためですが、他の生物もそれぞれに限定された異なる現実の一片を捉えて自分たちの現実モデルを作っています。ダニなら温度と体臭を、コウモリなら空気の疎密波の反響定位を、ブラック・ゴースト・ナイフフィッシュなら電場の摂動を基に現実を作るわけです。

時間もまた、脳が生み出す現実です。高いところから落下したり、自動車で衝突事故を起こしたりした瞬間、私たちは時間がゆっくりと進むように感じることがあります。内部モデルは新しい情報を入手する必要がない限りアップデートせずにカロリー消費を抑えているのですが、危険な状況では一瞬の間に通常の何倍・何十倍も外部の情報が更新されるため、その情報量が時間に変換して感じ取られ、時間が延びたように感じるのです。情報量が時間感覚を作り出すのです。

さて、日本語には、「つるつる」とか「ごつごつ」といった様子を音声として捉える擬態語がたくさんありますが、これは民族的な共感覚と言えるのかもしれません。

 

 

 

 意識と無意識 氷山 に対する画像結果

意識は氷山の一角

 

第五回

〈意識と無意識〉

 

カップに入ったコーヒーをひと口すする、そんな単純な行動も何兆という電気インパルスが支えています。視覚系がコーヒーカップを捉えるためにその場を見渡すと、過去の同じ状況の記憶がよみがえり、前頭皮質から運動皮質へ信号が送られ、胴体・腕・前腕・手の筋肉収縮を正確に連係させてカップをつかみます。カップに触れると、神経はカップの重さ・位置・温度・取っ手のすべりやすさなどの情報を送り返し、その情報が脊髄を通って脳に流れ込むと、補完情報がまた送り返されます。基底核、小脳、体性感覚皮質、その他さまざまな脳の部位どうしのこうした情報の複雑なやり取りの結果、一瞬でカップを持ち上げる力や握力が調整され、長い弧を描くようにスムーズに口元までカップは持ち上げられ、やけどしないように液体が唇に流し込まれるよう筋肉の調整が行われます。

このような集中的な計算とフィードバックをやってのけるには、世界最速のスーパーコンピュータが何台必要になるか分かりません。ところが、その時意識されているのはテーブルの向こうにいる相手との会話の内容で、しかもその会話を成立させる唇の動きや呼気の調整も、意識されることはありません。私たちの運動のほとんどは、無意識のうちに行われているのです。

イアン・ウォーターマンという男性は、胃腸の流感による神経障害により、触覚と、固有受容覚という手足の位置に関する感覚神経を失いました。しかし、彼はその状態に屈することなく、手足の位置の全てを視覚に頼り、一つひとつの動きに意識を集中させることで、歩行できるようになりました。とはいえ、身体感覚無しに体を動かすということは、全自動で動いていたロボットの手足の動き一つひとつを手動で操作するような困難な作業です。人間と同じように運動することのできる全自動ロボットは、今のところ存在しません。

人間の運動のほとんどは小脳を中心に無意識的に行われています。スポーツや曲芸などは、いかに無意識的に行えるかが重要で、何かを意識するとむしろ動きが鈍くなります。では、行動の大部分が無意識的に全自動で行われるのなら、いつ意識は表れるのでしょう。それは、予想外に無意識の行動が阻害された時や、神経ネットワークが構築されていないような前例のない事をしなければならない時です。そのような状況における神経の葛藤こそ、意識の正体だと言えそうです。

 

 

 

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情報モジュールの統合

 

第六回

統合情報と自由意志

 

1987年5月23日の夜、自宅でテレビを見ながら眠りに落ちたケン・パークスは、妻の実家で仲の良かった義父と義母を殺害した後、最寄りの警察署に出頭し「僕は誰かを殺した気がする」と告げました。遺伝的な睡眠障害のあった彼は、後に夢遊病であることが裁判で認められ、釈放されることになります。人は意識のない状態で車を運転し、殺人を犯すことも出来てしまうようです。

20世紀初頭の科学者フロイトは、それまで悪魔の憑依や意志薄弱で説明されてきた精神疾患の原因が、目に見えない脳の活動、無意識にあることを発見し、無意識の解明を患者の治療に応用しました。精神疾患に限らず、私たちが何を考えどう行動するかは、無意識によって決められているのです。

先に与えられた刺激が後の刺激の処理の仕方に影響を与える現象を「プライミング効果」と言います。例えば、暖かい飲み物を持った人と、冷たい飲み物を持った人に、家族との関係について質問すると、前者は好意的な意見を言い、後者はやや好ましくない意見を述べます。悪臭漂う環境にいる人は、他人の行為に対して倫理的に厳しい意見を持ったり、ビジネスの取引の場で硬い椅子に座っている人が強硬な交渉をする一方、柔らかい椅子に座っている人は譲歩しがちになったりします。

無意識に人々の行動に影響を与える「ナッジ」と呼ばれる注意喚起や控えめな警告もあります。スーパーで果物を目の高さに並べると客が健康的な食べ物を選択したり、男性便器に蠅の絵を貼るとうまく狙いをつけるようになったり、従業員を自動的な年金積立制度に加入させるとより良い貯金の習慣に繋がったり、人々の行動を無意識のうちにリードすることはできるのです。

無意識が思考と行動を決定するなら、自由意志はあると言えるのでしょうか。人間の脳には小脳と大脳があり、無意識的な運動を担っている小脳には大脳の数倍のニューロンがありますが、意識が発生するのは大脳です。大脳に意識が生まれ、小脳に生まれない理由は、それぞれの情報伝達を担う無数の神経モジュールが繋がっているか否かにあります。大脳では色や形や明るさ、音や臭いや味や熱さなど情報を伝えるモジュールが互いに結びついていますが、小脳にはそうした統合が見られないと統合情報理論では説明しています。百億以上のニューロン統合の組み合わせは如何なる存在にも予測不能なアウトプットを生じますし、外部からの情報と内部の生理との間には矛盾と葛藤が生まれますから、その辺りに無意識の停滞としての自由意志が存在すると言えるのかもしれません。

 

 

 

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『若い女性と老婆』

 

第七回

ジレンマと決断

 

脳外科医は手術中に患者の脳に電極を当て、ニューロン間の電気信号のやり取りをスピーカーに流し、電圧の微小な変化を音声に変換して、それを頼りに手術を行います。電極を当てる場所によって「ポンポンポンポン」になったり、「ポン…ポンポン…ポン」になったり、音のテンポが変化しますが、流れる情報の内容によっても神経ネットワークはそれぞれ異なる音を発します。

脳には痛みの受容体がないので、手術中でも患者と話をすることができます。上の有名な騙し絵「若い女性と老婆」の絵を見せ、若い女性と老婆のどちらが見えるか尋ねると、若い女性と答えた時と、老婆が見えたと答えた時では、「ポン」のテンポが異なります。これは、電極を当てた個所のニューロンが独力で知覚の変化を起こしているわけではありません。一つのニューロンは何千という他のニューロンとつながり合い、蜘蛛の巣のようなネットワークを形成しており、何十億というニューロンの協働の結果、音のテンポが変化するのです。観測者が捉える変化は、脳の広大な領域で起こるパターン変化の反映であり、脳内で一方のパターンが他方に勝つ時、見え方が決定されます。

アイスクリーム屋でバニラとチョコのどちらの味にするか迷っている時も、バニラを選ぼうとするニューロンネットワークと、チョコを選ぼうとするネットワークが拮抗しています。それぞれのニューロン群は必ずしも隣りあっているわけではなく、感覚や記憶に関わる領域にその網を広げ、広範囲にまたがるネットワークになって自己を主張し合います。そして、ネットワーク同士のこの主張合戦こそ、私達が悩み、葛藤している状態です。大脳では、こうしたジレンマが日々起きて、意識を生み出しているのです。

眼窩のすぐ上にある眼窩前頭皮質は、体の状態、空腹、緊張、興奮、当惑、渇き、喜びなどを、脳の他の部分に伝える信号の流れを統合していますが、ここを損傷する肉体の生理的欲求がその時々の外部からの情報に価値を与えることがなくなるため、複数の選択肢から一つを選ぶことができなくなります。スーパーで買い物しようとしても、全ての商品についてそれを買う意義が、身体の欲求と関わりなく理性的に主張されるので、永遠にそれぞれの商品の有用性を比較計算し続ける人工知能のように、具体的な行動に踏み出すことなく立ち往生してしまうのです。美味しそうなものに出すよだれ。値段の高さに汗ばむ手。魚の缶詰で食当たりした記憶が生む背筋の寒け。それらが私達の選択と行動の源です。

人間は理性だけでは決められません。決断には生理状態や感情が不可欠なのです。

 

 

 

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ドーパミンの回路

 

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選択と生理

 

目の前の幾つかの選択肢から一つを選ばなければならない時は、現在の生理的な状態が決断の決め手となります。純粋な情報の比較計算しかできないと、考えられる可能性は無限にあるため、いつまでも決められないのです。では、選択の結果が未来に関わる問題の場合どうでしょう。

今日は日曜日。最近ハマっているゲームをなんとかクリアしたい。でも、二週間後に中間テストが迫っていて、準備を始めないと間に合わない。だが、十歳下の弟が自転車の練習を手伝って欲しいと言う。弟は自分になついているので可愛いし、弟に付き合ってあげれば家族の平和にも貢献できる。こんな未来の査定に迫られる状況にも、生理現象、ドーパミンと呼ばれる神経伝達物質の報酬が、選択の基準になります。つまり、選択肢の中で一番報酬の大きそうな方へ行動を移すわけです。

しかし、未来の事は結果が出るまで時間がかかる上、期待通りの報酬が得られるかも決まっていません。弟に付き合う事を選択した結果、弟が転んで怪我をし、「お兄ちゃんが手を離したせいだ」と泣いて両親に訴えれば、親子喧嘩になってドーパミンの放出は抑制されます。逆に、弟が思った以上に上達して自転車に乗れるようになり、お祝いに家族で高級寿司屋へ行くことになればドーパミンの放出量は急増します。予測以上の結果が出ればその行動の査定額は上がり、逆なら査定額も下がります。

さて、どんなに査定額の高い未来の選択肢でも、現在目の前にある欲求には負けてしまうものです。太ると分かっていても目の前のケーキは食べたくて仕方がない。査定額の高い未来より、悪魔の誘いに惹かれてしまうのです。

ギリシャ神話に出てくる英雄オデュッセウスは船旅の途中、海の精霊セイレーンの海域に入ります。この精霊の歌は大変美しく、聞く者は歌に惹かれて海に飛び込んだり、船を岩にぶつけたりすると言われています。どうしてもこの歌声を聞きたかったオデュッセウスは、船乗りたちの耳に蝋で栓をし、自分の体はマストに縛りつけておきました。歌声が聞こえると彼は海に飛び込もうとするのですが、耳栓をした船乗りたちはそれを無視して船を進め、無事にその海域を通過できました。

上記のオデュッセウスのように事前に行動へ制限を加えられない時には、意志力が必要になります。しかし、食事をしたいのに我慢している時などは生理的に大量のエネルギーが消費され、他の事に使う力が削がれてしまいます。囚人の仮釈放に関する2011年の研究で、1000件の判事の裁定が分析されたところ、食事休憩の直後では仮釈放が認められる割合が65%だったのに対し、休憩直前では20%しか仮釈放が認められませんでした。空腹で、丁寧に裁定する意志力が残っていなかったようです。

選択とはやはり、生理的に決まる現象なのです。

 

 

 

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ミラーリング

 

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他者と共感

 

現在のスマートフォンは、小さくなったコンピューターと言える性能を持っています。しかし、これがインターネットに接続していなかったら、私たちが重宝しているその能力のほとんどは消えてしまうでしょう。一方、世界中のスマートフォンが接続していないSNSというのは想像できるでしょうか。個々の端末が接続していない時、そこにはインターネットも存在していません。

人間も、個々の大脳等の神経ネットワークの働きだけでは、私たちの考える個としての人間の姿を説明できません。私たちの存在の半分は、他者によって出来ているからです。また、私たちは、他者とつながり合った社会的動物として情報交換することで、巨大な集合的生命体として存在しているとも言えます。それは、個々の細胞の集合として生物が存在し、個々のニューロンのシナプス反応により全体としての神経系が生まれるのと同じことです。

ウサギ、電車、モンスター、飛行機、 子どものオモチャ、これらはみなアニメのキャラクターとして登場し、人間はこれらを自分たちと同等の存在とみなして感情移入することが出来ます。心理学者のフリッツ・ハイダーとマリアンヌ・ジンメルが1944年に作った短編映画は、こうした私達の共感能力の強さをよく示しています。映像には大きな三角形と小さな三角形と円が動き回る様子が映っているのですが、それが私達には、大きな三角形に襲われた小さな三角形と円が、協力して戦い、逃走に成功した物語として見えてしまうのです。

無機的な図形の運動にさえ社会的意図を読み取ろうとするこの能力は、まだ話すこともできない赤ん坊の頃から持っています。1歳未満の赤ちゃんに、アヒルをいじめるクマと、そのアヒルを助けるクマの人形劇を見せ、2匹のクマの人形を目の前に持っていくと、ほぼすべての子が親切なクマと遊ぼうとします。生存のためには敵と味方を素早く判断する能力が不可欠であるため、目の前のあらゆる事物がまず他者として現れる能力を、私達は生まれつき持っているのです。

人間は成長に従い、文脈によって複雑化していく社会関係に直面します。そこで脳は、互いの言葉と行動の他、その声の抑揚、顔の表情、身ぶり手ぶりから、他者の意図を読み取みとっていきます。しかし自閉症の人の場合、脳のこの共感機能が活発に働かないため、他者が表情や仕草に表す情報に反応できないようです。

他者の意図を読むためには、ミラーリングが必要です。これは、微細な顔面神経が相手の表情を無意識のうちにコピーして自分の顔でその表情を真似することです。これにより他者の気持ちを脳に再現することが出来るのです。

長年連れ添った夫婦の顔が似てくるのは、このミラーリングの積み重ねの結果だと言われています。

 

 

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スレブレニツァの虐殺

8000人の犠牲者の墓

 

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〈外集団と内集団〉

 

私たちは隣人の微細な表情の変化を見てそれを自分の顔にコピーし、その表情に対応した痛み、悲しみ、怒り、喜びといった感情を自分の中に再現するミラーリングという能力を先天的に持っています。この共感こそが人間社会の道徳の根源で、無意識の集団的共感の連鎖が「見えざる手」となって人間を社会秩序に従わせるのだと、倫理学者で経済学の祖アダム・スミスも『道徳感情論』において説いています。

隣人に共感し、同時に隣人の共感を期待しながら人間は集団の中で生きていますが、そんな個体の集合が一つの生命体として部族や民族や国家の集団的思考と行動を生み出す事は、人間の強みである一方、怖さでもあります。

1995年7月11日 、ボスニア・ヘルツェゴビナのスレブレニツァで、国連の駐留地から追い出された8000人以上のイスラム系ボスニア人が、外で待っていたセルビア人武装集団の手により、国連軍の目の前で10日の内に殺害されてしまいました。この事件を含め、ユーゴスラビア紛争中の1992年から95年の間に、10万人を超えるイスラム教徒がセルビア人に虐殺されています。第二次大戦中のナチスによるユダヤ人虐殺に恐怖し、二度と同じ事を繰り返さないと誓ったヨーロッパで行われた現代のジェノサイドです。

なぜ隣人の痛みに共感できる私たちに、こんな虐殺をしてのけることが出来てしまうのか?その理由は、外集団と内集団の違いにあります。スレブレニツァでは、ついこの前まで同じ学校で学び、同じ街で働いていた人々が、隣人に銃を突きつけて撃ち殺しました。人間は、自分の属す集団の中で共感し合う一方で、その外にいる人々のことを物として扱えるような感情の神経スイッチを脳の中に持っているのです。

綿棒を手に当てた写真と、注射針を手に突きつけた写真を見比べた時、後者には脳の痛みを感じる領域が活性化します。しかし、この写真にキリスト教徒、ユダヤ教徒、無神論者、イスラム教徒、ヒンズー教徒、サイエントロジストといったラベルを一つ貼り付けるだけで、脳の活性具合は変わります。自分の属す集団のラベルが付いた手の写真には痛みを感じるのに、外集団のラベルが付いた写真だと、内側前頭前野の活性具合が落ちるのです。

内集団と外集団を分けるスイッチは身近なイジメでも押されています。このおかげで、昨日まで友人だった人の痛みに反応せずにいられるわけです。

 

 

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デイヴィッド・イーグルマンの聴覚代行器具

《VEST》

 

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〈感覚の代行と拡張〉

 

2007年、ラムッスン脳炎による発作で苦しんでいたキャメロン・モットという少女が、12時間の神経外科手術のすえ、脳の半分を摘出されました。しかし、手術後も彼女は体の片側が弱いだけで、他の子どもたちと同じように言語、音楽、数学、物語を理解でき、スポーツにも参加することが出来ました。脳の残り半分が失われた機能を引き受け、神経の配線をし直し、ほぼ全ての働きが半分のスペースに押し込まれたのです。このように、新しい状況に順応して学ぶたびにみずからを変えるという脳の可塑性が、テクノロジーと生物学の融合を可能にします。

人工内耳は、外部マイクロホンが音声信号をデジタル化して聴覚神経に送り、人工網膜は、カメラからの信号をデジタル化して目の後ろの視神経につながれているグリッド電極に送ります。現在、何十万という聴覚・視覚障害者がこうした装置で自分の感覚を取り戻しています。初めのうち異質の電気信号は脳にとって理解不能ですが、やがて神経ネットワークは入ってくるデータのパターンを抽出し、大ざっぱでもそれを理解する方法を見つけ、他の感覚と相互参照し合って入ってくるデータの構造を探り出し、数週間後には情報が意味を持ち始めるのです。

脳という汎用の計算装置は、入ってくるどんな情報でも活用できるアルゴリズムを構築し様々な感覚を生み出します。そこで、私たちの五感やバランス感覚、温度の感覚などで捉えることのできないものを直接脳に送り込むことを可能にすれば、人間にも紫外線や赤外線や超音波に反応する感覚が身につけられるかもしれません。デイヴィッド・イーグルマンは、小さな振動装置で覆われているべストを作りました。身に着けていると音のデータストリームが胴体に伝わる振動パターンに感覚代行され、5日も経つと話されている言葉が特定できるようになるのです。

感覚は拡張することも可能です。スマホの画面を見ることなく、インターネットの天気や株価のデータを脳で直接理解できるようになるかもしれません。ただ新しい感覚を持つだけでなく、新しい運動を作り出すことも可能です。脊髄障害で筋肉の動かなくなったジャン・シュールマンは、左運動皮質へ2個の電極を埋め込むことで、ロボットアームを動かせるようになりました。

発展すれば、人間は宇宙ステーションにいるロボットを感覚的に操作することさえ可能になることでしょう。

 

 

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 人工知能が心を持つ日は来るのか?

 

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 <意識の棲み処>

 

遠い未来の技術で甦ることを期待する人々のため、アルコー延命財団では、顧客の死後その肉体を凍結保存しています。全身凍結ではなく、頭部だけ保存する人々もいます。

凍結した肉体や脳を復活させる技術が登場するかしないかは分かりませんが、脳のデータをコンピューターにコピーして保存しておくことは不可能ではないかもしれません。人間の脳は860億のニューロンで出来ており、各ニューロンには1万の接続があるため、一個の人間の脳には1000兆の脳細胞間接続の独自パターンがあると言われていますが、それは現在の地球にある全てのデジタルコンテンツの合計と同じサイズのバイト数に相当します。しかし、コンピューターの能力は18ヵ月ごとに倍になっているため、あなたの神経回路のマップをコピーできる日が来るかもしれません。

ただし、神経回路図を保存してもそれだけで意識が生じるわけではありません。思考や感情や認識を生み出しているのは、細胞間の接続で実行される毎秒何千兆もの化学的物質の放出や、タンパク質の形態の変化、ニューロン軸索を伝わる電気的活動の波です。そのため、スイス連邦工科大学ローザンヌ校のヒューマン・ブレイン・プロジェクトは、人間の脳のシミュレーションを実行できるハードウェアとソフトウェアのインフラの完成を目指しています。

では、完全な脳のシミュレーションで意識は再現できるのでしょうか。それは知覚し、考え、自己を意識する存在となるのでしょうか。動物のニューロンとて物質でできており、電気的・化学的なやり取りをしているだけなので、細胞を回路に、酸素を電気に置き換えても、心を生み出す科学反応は起こせそうです。それなら、人間の脳のコピーでなく、人工知能でも心を持つことは可能に思えます。

しかし、自律神経も感覚神経も運動神経も、呼吸や栄養摂取といった生理反応によって活動できるものであると同時に、その生理反応を助け維持するために存在しているものです。生理によって心理が生まれ、生理のために心理が働くわけで、生命維持のアルゴリズムが神経系の活動である以上、維持すべき肉体がなければその活動は意義を持たなくなります。糖を必要とする肉体がなければ、「甘い」という快感の報酬系も生成されません。

肉体の生理が障害や矛盾に直面した時、神経系に葛藤が生じます。その問題を解決する新たなアルゴリズムを生む作用が思考であり意識であるなら、心と体は一つのものでしょう。