2013年度特別コラム「哲人の記」

 

 

D孔丘仲尼

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人間は社会的動物である。互いに関係を持ち、共存していくために、秩序のネットワークを集団的に構築する。子供は、所属する人間集団のルールに取り込まれ、ネットワークを構成する端末の一つとなることで、初めて、ただの生物でない人間となる。人間社会は二つの大きなルールによってネットワークが構築されている。一つは言語であり、もう一つは礼儀だ。外国人が、居住する異国の地で最も困り、最も気にするのもこの二つだろう。だが、勝ち組になること、負け組にならないことが目指される実力主義の時代には、古い礼儀はとかく疎んじられるものだ。

今から2千5百年前の中国は、周王朝の権威が落ち、諸侯が覇を競い合う戦乱の中で、その諸侯もまた、配下の貴族や更に下の者たちに地位を奪われるという下剋上の世界だった。そんな実力主義の時代に、諸子百家と呼ばれる哲学者・思想家たちが現れ、ルールの再編を目指した。孔子こと孔丘仲尼は、その先駆け的存在だった。しかし、彼が重視したルールはあくまでも、祖霊祭祀などの周王朝の伝統である古き礼法だった。

彼は、ルールである「礼」の前提として、他者を思いやる心としての「仁」を不可欠なものとし、「仁」と「礼」を合わせた「コ」を学問と実践によって身に着けた「君子」が理想の人間であると説いて、君子を指導者とした「仁」と「礼」による秩序回復を目指した。また、合理主義に徹し、神や霊など理性的に認識できないものについて語ることを戒めた。神霊は、世界を認識の対象する精神態度の前には表れず、科学的には実在しない。だが、森羅万象を、関係を持つ他者とする精神態度の前には、自然と実在者として立ち現れる。そこで神霊は、学問的には語りえぬ、ただ敬うのみの存在と考えた。

孔丘の、古き良き礼法への回帰や他者を思いやる心の教えは、既成の秩序を打ち破る下剋上と、敵を出し抜く権謀術数が求められる時代の実力主義者たちには受け入れられず、彼の説く、孝・義・信・忠のいずれもが覆された。また、論理的な独断を避け、学習と実践経験によって偏りを退けようとする中庸の態度は、難解過ぎた。孔丘は弟子たちとともに長い流浪の旅に出、自分たちを採用する王侯の現れを待つが、ついにその機会には恵まれなかった。

だが、深い仁徳を身につけた彼は、生前から聖人と敬われ、死んで数百年後には神として祭られていた。やがて、彼の言行録である「論語」と、彼を祖とする儒教は、東アジア文明の礎となる。

 

 

 

 目次

@ ソクラテス

A プラトン

B アリストテレス

C ゴータマ・シッダールタ

D 孔丘仲尼

E 荘周

F パウロ

G デカルト

H パスカル

I カント

J ヘーゲル

K ニーチェ