2013年度特別コラム「哲人の記」

 

 

Gルネ・デカルト

 

 decult

 

様々な事象についてなされている一般的な説明は、本当に正しいのか。世間的通説は往々にして覆されるし、歴史上の事件から健康科学まで、学説・定説とされていたものが覆されることも少なくない。何が真実、何が真理か分からない時、疑えそうなことは全て疑ってみるという方法がある。方法的懐疑。

「我思う、故に我あり」とは、全ての知識や感覚、世界と自己の存在、そして神まで、疑いえる全ての事物を疑った16世紀の哲学者デカルトの言葉だ。全てを疑ってみた彼は、最後に、疑っていること自体は疑いえない事実であると気づく。疑うことがなければ、逆に全ては疑いえない事実ということになってしまう。疑う、即ち考えるという精神活動自体は疑いえない以上、それを行っている「私」は間違いなく存在する。この明晰判明な事実が、彼の哲学の第一原理となった。

ヨーロッパ世界は、ギリシャ哲学とキリスト教を軸にして生まれた。ギリシャ哲学の代表プラトンの思想は、4世紀のキリスト教思想家アウグスティヌスを介して、既にローマ帝国内に広がっていたキリスト教信仰に取り入れられ、その神学の土台となった。イデアという設計図を基に世界を創造した造物主の摂理には、イデアを見て真理の判断が下せる理性だけがこれに合致する。こうしたプラトンのイデア論は、唯一神信仰であるキリスト教の神学によく適しており、この世界観が教会の巨大な権威と権力の下にあった中世ヨーッロッパ上流社会の文化的骨格になっていた。

ヨーロッパにはやがて、ギリシャ・ローマの文明を直接継承・発展させたイスラム世界の諸学問がもたらされ、カトリック教会の秩序の下で、スコラ学という体系的学問が形成された。このスコラ学には、プラトンを批判した彼の弟子にして万学の祖アリストテレスの現実的な諸学も取り入れられ、学問の世界で合理化が進んだものの、聖書の記述に反する説は認められなかった。そのため、デカルトと同時代にスコラ学の説く天動説を批判し、コペルニクスの地動説を支持したガリレイは、宗教裁判で無期刑となった。

ガリレイ同様、数学によって記述される事象のみが明晰判明な事実、科学的事実だと考えたデカルトは、聖書に矛盾しない体系に固執するスコラ学と決別し、新たな哲学体系の構築を目指した。そして、方法的懐疑に続けて彼が行ったのは神の存在証明だった。明晰判明な「考える私」の存在を見出した理性がある以上、それを成り立たせ、それと合致する摂理の源たる神も存在すると彼は主張し、己の哲学の根本にも神を置くことで、スコラ学を支持するカトリック教会に対抗した。

数学による全自然界の記述を夢見て彼が構築した機械論的世界観。この新たな世界観よる近代科学革命は、彼の死後、ニュートン力学の登場によって実現する。

 

 

 

 目次

@ ソクラテス

A プラトン

B アリストテレス

C ゴータマ・シッダールタ

D 孔丘仲尼

E 荘周

F パウロ

G デカルト

H パスカル

I カント

J ヘーゲル

K ニーチェ