2013年度特別コラム「哲人の記」

 

 

E荘周

 

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音が聞こえる。でも、あなたがいなければ、そこにあるのは空気の振動だけだ。空気振動を音に変換する聴覚を持つ生き物がいなければ、音は宇宙空間に存在しない。物が見える。でも、あなたがいなければ、そこにあるのは光の波動だけだ。光を色・映像に変換する視覚を持つ生き物がいなければ、映像は宇宙空間に存在しない。音や色に限らず、匂いも味も質感も、生き物の五感がなければ世界に存在できない。

あなたの前に机と椅子がある。でも、そこに机と椅子を発見できるのは、その概念を持った人間だけだ。言葉が机と椅子を他のものから切り分けなければ、どちらも独立した物体として存在できない。

人間の知っている現実世界は、五感や言語の作り出す現象界だ。だが、五感や言語を越えた真の実在がそれ以前になければ、現象界は生まれない。

2千5百年前、乱世の中国で、孔子が礼と仁を貴ぶ思想を軸に弟子たちに学問を教える学団を作った後、中国各地には様々な学団が起こり、様々な思想・哲学が生まれる。礼と仁の孔子の教えを継ぐ儒家、法治主義を説いた法家、無差別の愛と非戦非攻を説いた墨家、論理学による思想の整理に努めた名家など、互いに批判対立しあいながら、活発な活動を見せた。それぞれの思想家たちが学団を形成したり、政治家として活躍したりした中、貧窮の生涯を送り、人為的に構築された世界観を脱けて、世界を成立させる真の実在「道(タオ)」との一体化を理想とした思想家が、荘子こと荘周である。

荘周は神話的思想家である老子とともに道家と呼ばれる。その著作は、何千里もの体長を持つ魚や鳥を登場させるなど大げさな寓話を用いて、読者に人間社会の卑小さを感じさせる。それは、地球や宇宙の歴史を学んで、人類社会の歴史の短さを感じるのと同じ効果を持つ。それにより、貧富の差や身分の差、美醜の差など我々の社会にある価値や規範は相対化され、解体されてしまうのだ。そして、富と貧、正と邪、美と醜、善と悪、真と偽などの二項対立は、一方があることで他方も存在するものであり、世界を有らしめる「道」においては万物の価値は均等にして斉同であると荘周は説いた。

知覚や理性の作り出す現象界の虚構を指摘し、そこからの解脱、「道」との一体化、無為自然を説く思想は、後に道教へと吸収され、孔子を祖とする儒教とともに、中国文化の基盤となる。

 

 

 

 目次

@ ソクラテス

A プラトン

B アリストテレス

C ゴータマ・シッダールタ

D 孔丘仲尼

E 荘周

F パウロ

G デカルト

H パスカル

I カント

J ヘーゲル

K ニーチェ